KPOPが流行っている今、様々なグループが活動し、様々な姿を見せてくれています。その先駆けとなり、今のKPOP文化を創り上げた主に3人を紹介します〜〜!!


1961年から1988年まで政治的な理由で表現の自由が奪われていた韓国、

1970年代に歌手・司会者として国内で人気だったイスマンは、その自由の奪われていた時代の終わりごろにアメリカに留学して現地の音楽的、視覚的に強烈なパフォーマンスに感化され国内初のアイドル企画を考案して後のSMエンターテインメントを設立しました。当時はありえなかった 「有能な練習生を時間をかけて育てる」 という今では当たり前でKPOP独特の育成システムの成功者第一号だと言われています。


その頃、初めてラップを取り入れた3人組ヒップホップ系グループ 「ソテジワアイドゥル」 がデビューしました。ソ・テジ、ヤン・ヒョンソク、イ・ジュノの3人で活動した彼らは出した曲は全てヒットし、韓国にヒップホップをもたらしました。また今のKPOPには欠かせないラップは、韓国語の発音的に無理だ・難しい・不可能と言われていたのですが、このソテジワアイドゥルが披露しその概念は無くなりました。


そして惜しまれながら解散したソテジワアイドゥルと入れ替わるようにしてイスマンのSMエンターテインメントからデビューしたのが、H.O.T。彼らはkpop第一世代と言われていて今のkpopのアイドルグループのスタイルを創り出しました。しかし韓国で大ヒットを生み出した彼らは韓国国外にもファンが出来ますがスタービジネスにはならないと感じた野望家イスマンは海外ビジネスに目を向け、まずは日本市場をターゲットにしました。そうして誕生したのは日本のkpopブームの先駆けとなった、みなさんも知っているあの有名なメリクリを歌っているBoAです。イスマンがターゲットを海外に移したグループは、中国に目を向けたSuperJunior-MEXO-MWayV、アメリカを拠点として活動させているSuperMなど。もうすぐ70歳の今でも尚トレンドの先を行っています。


そしてその頃、アメリカで育ったパクジニョンはブラックミュージックという黒人の作った文化である音楽に魅了され歌手を目指しました。帰国して歌手を目指すもSMを始め色々なオーディションに落ち続けました。しかし彼は独学で音楽理論を学んだり、当時は珍しかったメディア戦略やセクシーな衣装を取り入れたり、コミカルなダンスで人々に印象を残しました。そうしてJYPエンターテインメントを設立するも、SMエンターテインメントのイスマンとは打って変わって、パクジニョンは自らロサンゼルスに進出し、ラッパーこメイス、RB歌手キャシー、そしてウィル・スミスなどのプロデュースを手がけプロデューサーとしての実績を積み、日本ではAISMAPなどとコラボレーションしていました。そして実績を元にWondergirlsというグループをデビューさせ中国、アメリカ進出を目標に英語バージョン、中国語バージョン、日本語バージョンの曲を出し、たくさんの曲がビルボードランキングランクインするなど様々な功績を残しました。


また同じ頃に、さっきヒップホップを韓国に持ち込んだとして登場したソテジワアイドゥル覚えてますかね、 そのうちの一人のヤンヒョンソク。ヤンサという愛称でファンから親しまれたヤンヒョンソクは、ヒップホップをベースにしたコンセプトを掲げ、アーティストの自主性を重んじていて自分たちで曲をプロデュースするグループを作りました。そこでBIGBANGをデビューさせると、BIGBANGは当時第二世代といわれるSMJYP所属のアイドル達と違う味を見せました。TEDDYと共同でプロデュースを行い、ヒップホップを基盤に、そしてアイドルという固定されたスタイリングの無い個人の個性を出した衣装やなどで今のYGの形を作りました。堂崎にPSYYGに合流し、「カンナムスタイル」を出すと世界的ヒットを起こし、アメリカビルボードHOT2位、イギリスを含む14カ国で公式チャート一位を獲得、YouTubeの再生回数5年間1位で2020年現在38億回という歴史に残る結果を残しました。そうしてYGSMJYPと並び三大事務所と言われるまで成長しました。


3人と3人の事務所の誕生を話しましたが、今では当たり前にジャンルとして存在している「KPOP」とは誰が言い始めたと思いますか?なんとねー日本のメディアなんですよ。なぜ3人は日本を真っ先にターゲットにしたのか。

イスマンは「アジアをひとつのマーケットだと思っている」 「韓国の人口は所詮4000万人しかいない」と言っていました。世界の音楽コンテンツ市場で日本はなんとアメリカに次ぐ2位です。簡単に言うと音楽が身近にあり大好きなんですね。ですからすごく近い隣の国で世界で二番目に音楽を消費する国、そして日本は韓国と比べて市場の規模が30倍ほど大きいと言われています、ターゲットにするしかないですね。そしてイスマンはまた「ボアがいなければ今のSMは無かった。」とも言っています。つまりボアの日本進出がSMを支えたと言っても過言では無いと思います。またイスマン代表はFacebookの設立者マーク・ザッカーバーグ、AppleCEOティムクック、Google社の共同開発者リーペイジなどのグローバルリーダーたちと肩を並べ、「Variety500」に選ばれ、他にも様々な賞を受賞しました。


またパクジニョンは今もまだ現役で歌手として活動しており、プロデュース業では最近虹プロジェクトという全員日本人メンバーのグループをデビューさせ、国内では虹プロジェクトと共にパクジニョンの日本語が話題になり、その時にパクジニョンを知った人が多いのではないでしょうか。彼が子供の頃はまだ日本の文化に規制があり音楽を聴くことも禁止されていましたが、裏で出回っていた日本の曲を探したり日本の電波がギリギリ届く釜山にわざわざ行って日本のテレビを見ていたりと、かなりの親日です。そしてKPOP史上初めて外国人メンバーを含め活動したグループ、初めて日本人メンバーを含めデビューさせたグループTWICEもパクジニョンプロデュースです。またアジア人初ビルボードランキング1位獲得、グラミー賞候補にもあがっている今では知らない人がいないBTSの事務所、BigHit(ビッグヒット)エンターテインメントはパンシヒョクというプロデューサーによって設立されました。パンシヒョクは元々JYPでプロデューサーをしていて独立しました。


ヤンヒョンソク率いるYGはとても上手な日本語や関西弁を喋るグループが多いことで有名ですが、ヤンサはなんとBIGBANGを日本デビュー当時日本に住まわせてました。またPSYSNSでの爆発的ヒットを機に、ヤンサはメディア戦略に力を入れ、Kpopアイドルとファンなら誰でも絶対に入れているVLIVEというアプリはNAVERとヤンサが共同で開発し、ブイライブ初登場のグループはYG所属のWINNERiKONでした。アーティストの自主性を重んじていてゴシップが絶えない元気な事務所で有名ですが、ヤンサ本人も元気なので大麻所持で捕まり、今はYGの元を去りましたがみんなヤンサが大好きです。多分。


KPOPがここまで来れたのは他にも色々な方々の努力と功績だと思いますが、まずは今日三大事務所と言われるまで発展し、KPOPをここまで連れてきてくれた3人を紹介しました。


ここ違うよ、とか意見があったら申してください🙇‍♀️