羽柴秀吉が、

弟の秀長に宛てて、

織田信長の次男・信雄の夫人たちが

人質として

大坂に来るにあたり、

秀長邸で

預かるよう命じた書状が発見された。

専門家は、

重要な人質の扱いについて

母親(後の大政所)も

含めてあたろうとするなど、

権力基盤を固めつつあった

時期の秀吉が、

親密な家族内で

政治的課題に

対処していたことを

示す史料として、

注目している。

書状は

東京大史料編纂所

(東京都文京区)が

所属してきた文書群に含まれ

花押部分は

切り取られていた。

編纂所の

村井准教授(日本中世史)が分析した

結果、

秀吉が

1584~86年頃使っていた、

コウゾに

米粉を混ぜてすいた

紙と判明。

筆跡も秀吉の右筆(秘書役)と

似ており、

秀吉の書状と判断した。

紙質と内容から

85年に書かれたと考えられるという。