自然で身近な交流に
皇太子さま カメラ活用
「平成の天皇 象徴の継承②」
特別列車内でカメラを片手に沿線の
人々に手を振られる皇太子さまーー。
そんな姿を捉えた写真が
週刊誌に載った。
2011年11月、
天皇陛下が気管支炎で入院され
名代として山梨県を訪問された時の
ことだ。
「これはどうしたことか」。
陛下の地方訪問に随従してきた
側近らに困惑が広がった。
天皇、皇后両陛下は
列車で移動する間
立ち続けて窓の外に手を振られる。
沿線の人々の位置が
先頭車両の
護衛官から無線を通じて
伝えられることもある。
「人々の傍らに立ち
その声に耳を傾け、
思いに寄り添うことも大切なこと」
天皇陛下が3年前、
象徴の務めに対する考えを明かされた
お言葉は、
広く支持され、
退位を実現する
特例法成立に結びついた。
写真で切り取られた
皇太子さまの姿は
そうした姿勢と対照的に映る。
写真が
拡散したネット上に
批判的な声も寄せられた。
皇室に絶えず注がれる
国民の視線の厳しさが
浮き彫りになった出来事だった。
天皇の外出は古来、
行く先々の人々に恵みを与えるとして
「行幸」と呼ばれてきた。
平安以降は
ほぼ都の周辺に限られ、
江戸時代の天皇は
200年以上御所を出なかった。
国民に会いに行く
天皇像が生まれたのは、
明治以降のことだ。
明治天皇は、
富国強兵の推進役を務め
開業したばかりの鉄道も利用して
各地を巡った。
先の大戦に敗れ、
新憲法の下で象徴となった
昭和天皇は、8年かけて全国を巡り、
困窮する国民との対話を試みた。
東京都内で戦災者に声をかける
昭和天皇の姿を、
1946年3月1日の
読売報知新聞が報じている。
後楽園裏のバラックを
一つ一つのぞき込み
「この家は寒くないのか。
ずいぶん大変だろうが
一生懸命やりなさい」などと
声をかけて回ったという。
かつて
現人神とされた
昭和天皇は、
社交的な振る舞いが不得意で、
国民との会話は
ぎこちなさも残った。
だが、
真っ直ぐな人柄と
香淳皇后の
笑顔が行く先々で受け入れられ
昭和時代に天皇、皇后による
二人三脚の旅の原型が生まれた。
平成は、被災者など弱い立場に
置かれた人々の前で膝をつく
天皇陛下の姿が、
国民に寄り添う皇室像として
定着した。
陛下の退位が迫るなか
新天皇に即位する
皇太子さまが
国民にどう向き合うのかに
注目が集まっている。
先月、皇太子さまは
読書感想文コンクールの受賞者との
懇談で、小学3年の女の子に
数枚の古い写真を見せられた。
女の子が読んだ課題図書に登場する
スコットランドの湖畔が写っていた。
皇太子さまは
事前にこの本を読み、
英留学中に訪れた場所だと
気付き、かつて自身の撮影した
写真をポケットに忍ばせ、
懇談に臨まれた。
ほかの児童も集まって会話が弾んだ。
皇太子さまは
5年前、
人と接する時の心がけを問われた
記者会見で
「限られた時間の中で
できるだけ多くを引き出すこと」と
答えられた。
2017年のデンマーク訪問では
現地の市民と並んでスマートフォンの
「自撮り」に応じられ、
皇室の新しい国際親善の形と
話題になった。
側近によると、
皇太子さまは記憶をたどれるよう、
写真や
画像データを整理されているのだという
かつて批判の対象となった
カメラも、
変わらず外出先に携行されている。
皇太子さまは、
より自然で、
より身近な交流を求められているようだ
そんな
思いの実現を助ける装置として、
新天皇のカメラが活躍するのかも
しれない。
【読売新聞3.24】
皇太子さま カメラ活用
「平成の天皇 象徴の継承②」
特別列車内でカメラを片手に沿線の
人々に手を振られる皇太子さまーー。
そんな姿を捉えた写真が
週刊誌に載った。
2011年11月、
天皇陛下が気管支炎で入院され
名代として山梨県を訪問された時の
ことだ。
「これはどうしたことか」。
陛下の地方訪問に随従してきた
側近らに困惑が広がった。
天皇、皇后両陛下は
列車で移動する間
立ち続けて窓の外に手を振られる。
沿線の人々の位置が
先頭車両の
護衛官から無線を通じて
伝えられることもある。
「人々の傍らに立ち
その声に耳を傾け、
思いに寄り添うことも大切なこと」
天皇陛下が3年前、
象徴の務めに対する考えを明かされた
お言葉は、
広く支持され、
退位を実現する
特例法成立に結びついた。
写真で切り取られた
皇太子さまの姿は
そうした姿勢と対照的に映る。
写真が
拡散したネット上に
批判的な声も寄せられた。
皇室に絶えず注がれる
国民の視線の厳しさが
浮き彫りになった出来事だった。
天皇の外出は古来、
行く先々の人々に恵みを与えるとして
「行幸」と呼ばれてきた。
平安以降は
ほぼ都の周辺に限られ、
江戸時代の天皇は
200年以上御所を出なかった。
国民に会いに行く
天皇像が生まれたのは、
明治以降のことだ。
明治天皇は、
富国強兵の推進役を務め
開業したばかりの鉄道も利用して
各地を巡った。
先の大戦に敗れ、
新憲法の下で象徴となった
昭和天皇は、8年かけて全国を巡り、
困窮する国民との対話を試みた。
東京都内で戦災者に声をかける
昭和天皇の姿を、
1946年3月1日の
読売報知新聞が報じている。
後楽園裏のバラックを
一つ一つのぞき込み
「この家は寒くないのか。
ずいぶん大変だろうが
一生懸命やりなさい」などと
声をかけて回ったという。
かつて
現人神とされた
昭和天皇は、
社交的な振る舞いが不得意で、
国民との会話は
ぎこちなさも残った。
だが、
真っ直ぐな人柄と
香淳皇后の
笑顔が行く先々で受け入れられ
昭和時代に天皇、皇后による
二人三脚の旅の原型が生まれた。
平成は、被災者など弱い立場に
置かれた人々の前で膝をつく
天皇陛下の姿が、
国民に寄り添う皇室像として
定着した。
陛下の退位が迫るなか
新天皇に即位する
皇太子さまが
国民にどう向き合うのかに
注目が集まっている。
先月、皇太子さまは
読書感想文コンクールの受賞者との
懇談で、小学3年の女の子に
数枚の古い写真を見せられた。
女の子が読んだ課題図書に登場する
スコットランドの湖畔が写っていた。
皇太子さまは
事前にこの本を読み、
英留学中に訪れた場所だと
気付き、かつて自身の撮影した
写真をポケットに忍ばせ、
懇談に臨まれた。
ほかの児童も集まって会話が弾んだ。
皇太子さまは
5年前、
人と接する時の心がけを問われた
記者会見で
「限られた時間の中で
できるだけ多くを引き出すこと」と
答えられた。
2017年のデンマーク訪問では
現地の市民と並んでスマートフォンの
「自撮り」に応じられ、
皇室の新しい国際親善の形と
話題になった。
側近によると、
皇太子さまは記憶をたどれるよう、
写真や
画像データを整理されているのだという
かつて批判の対象となった
カメラも、
変わらず外出先に携行されている。
皇太子さまは、
より自然で、
より身近な交流を求められているようだ
そんな
思いの実現を助ける装置として、
新天皇のカメラが活躍するのかも
しれない。
【読売新聞3.24】