「古橋のライバル」村山修一さん
戦後、
古橋広之進らとともに
1949年の全米氷上選手権
(ロサンゼルス)に派遣され、
800㍍自由形リレーで
世界新記録を樹立した
村山修一さんが1月5日、
肺がんのため川崎市内で亡くなった
95歳
故人の遺志で2月15日に行われた
四十九日法要まで伏せられていた。
和歌山県石垣村
(現有田川町)出身で、
早稲田大に進学後は
古橋のライバルとして活躍した。
6人の精鋭が選抜された
全米選手権には
主将として乗り込み、
日本選手団は九つの
世界記録を打ち立てるなど
敗戦に打ちひしがれる
日本国民の期待に応えた。
古橋の異名
「フジヤマのトビウオ」は
この遠征で命名された。
【読売新聞社2.16】
戦後、
古橋広之進らとともに
1949年の全米氷上選手権
(ロサンゼルス)に派遣され、
800㍍自由形リレーで
世界新記録を樹立した
村山修一さんが1月5日、
肺がんのため川崎市内で亡くなった
95歳
故人の遺志で2月15日に行われた
四十九日法要まで伏せられていた。
和歌山県石垣村
(現有田川町)出身で、
早稲田大に進学後は
古橋のライバルとして活躍した。
6人の精鋭が選抜された
全米選手権には
主将として乗り込み、
日本選手団は九つの
世界記録を打ち立てるなど
敗戦に打ちひしがれる
日本国民の期待に応えた。
古橋の異名
「フジヤマのトビウオ」は
この遠征で命名された。
【読売新聞社2.16】