硫黄島慰霊 悲劇に光
満蒙開拓民にも思い
【読売 / 平成の天皇 - 戦争と平和 - ④】
「水がなくて大変苦労されたよう
ですね」。
天皇、皇后両陛下は
1994年2月、
硫黄島の戦記
「何も語らなかった青春」の著者
多田実さん(2006年死去)を
御所に招き、
島での体験談に耳を傾けられた
硫黄島は45年2月、
米軍の上陸が始まり、
約2万人が玉砕した
負傷して本土に戻っていて
命を救われた
多田さんは、
元学徒兵や遺族ら
約450人の協力を得て、
壮絶な戦いの真実を伝える本を
93年に出版した。
戦後50年に合わせた
「慰霊の旅」の出発点が、
硫黄島と決まると、
両陛下は多田さんの著者を
取り寄せられた。
《拙著をよくお読みになっておられ
水、硫黄の熱気等の御下問も多く
光栄この上なく》。
後日、
側近の元に多田さんから
感謝の手紙が届いた。
両陛下は多田さんと面会した
5日後、島を訪れ、
天水を慰霊碑にかけて拝礼された。
「精魂こめて戦った人々のことを
思い、遺族のことを考え、
深い悲しみを覚えます」という
感想も発表された。
「よくぞ島で慰霊してくださった」。
遺族らで作る
硫黄島協会の会長寺本鐵朗さん(73)は
孤島で奮闘した
兵士に光を当てた
この慰霊に深く感謝している。
両陛下は、
軍人以外でも戦場に駆り出され
命を失った人々の悲しみにも
寄り添われた。
「外国航路の船員になることも
夢見た人々が敵の攻撃によって
命を失った」
陛下は戦後70年を迎えた
2015年の記者会見で、
徴用された民間船員が
制空権も軍艦もないなか、
人員や物資の輸送を担った
理不尽さに言及された。
その声は震えていた。
日本殉職船員顕彰会で
常務理事を務めた秦一生さん(84)
にとって、
00年の第30回戦没・殉職船員追悼式は
特別な意味があった。
1ヶ月前、
招かれた御所で、
陛下に「参列者は
遺族のほかにどういう方が」
と問われ、元徴用船員も
出席すると伝えた。
陛下は当日のお言葉で、
遺族と「同僚の人々」の
深い悲しみに触れられた。
「紙一重で生き残ったことで
苦悩した仲間も救われた」と明かす。
開拓民も戦争に
人生を翻弄された人々だ。
国策で満州(現中国東北部)や
内モンゴルに送られた
「満蒙開拓団」は、
約27万人に達したが、
終戦時の混乱に巻き込まれるなどして
約8万人が命を落とした。
「方正友好交流の会」
理事長大類善啓さん(73)は、
中国・ハルビン郊外の方正県で、
開拓民の墓を守っている
現地の人々と交流を重ねてきた。
両陛下が
元開拓民の苦労に寄り添われる
姿を見て8年前、
「旧開拓地に残る墓のことも
知っていただければ」と、
方正での
墓参りを記録した
映画「嗚呼 満蒙開拓団」の
DVDを皇居・御所に送った。
2ヶ月が過ぎた頃、
人を介し、
「大変重いテーマでした」という
両陛下の感想が届いた。
大類さんは
2時間に及ぶ映画を
見ていただけたことに驚き、
「大陸に眠る開拓民たちも
喜ぶはずだ」と胸を熱くしたという。
満蒙開拓民にも思い
【読売 / 平成の天皇 - 戦争と平和 - ④】
「水がなくて大変苦労されたよう
ですね」。
天皇、皇后両陛下は
1994年2月、
硫黄島の戦記
「何も語らなかった青春」の著者
多田実さん(2006年死去)を
御所に招き、
島での体験談に耳を傾けられた
硫黄島は45年2月、
米軍の上陸が始まり、
約2万人が玉砕した
負傷して本土に戻っていて
命を救われた
多田さんは、
元学徒兵や遺族ら
約450人の協力を得て、
壮絶な戦いの真実を伝える本を
93年に出版した。
戦後50年に合わせた
「慰霊の旅」の出発点が、
硫黄島と決まると、
両陛下は多田さんの著者を
取り寄せられた。
《拙著をよくお読みになっておられ
水、硫黄の熱気等の御下問も多く
光栄この上なく》。
後日、
側近の元に多田さんから
感謝の手紙が届いた。
両陛下は多田さんと面会した
5日後、島を訪れ、
天水を慰霊碑にかけて拝礼された。
「精魂こめて戦った人々のことを
思い、遺族のことを考え、
深い悲しみを覚えます」という
感想も発表された。
「よくぞ島で慰霊してくださった」。
遺族らで作る
硫黄島協会の会長寺本鐵朗さん(73)は
孤島で奮闘した
兵士に光を当てた
この慰霊に深く感謝している。
両陛下は、
軍人以外でも戦場に駆り出され
命を失った人々の悲しみにも
寄り添われた。
「外国航路の船員になることも
夢見た人々が敵の攻撃によって
命を失った」
陛下は戦後70年を迎えた
2015年の記者会見で、
徴用された民間船員が
制空権も軍艦もないなか、
人員や物資の輸送を担った
理不尽さに言及された。
その声は震えていた。
日本殉職船員顕彰会で
常務理事を務めた秦一生さん(84)
にとって、
00年の第30回戦没・殉職船員追悼式は
特別な意味があった。
1ヶ月前、
招かれた御所で、
陛下に「参列者は
遺族のほかにどういう方が」
と問われ、元徴用船員も
出席すると伝えた。
陛下は当日のお言葉で、
遺族と「同僚の人々」の
深い悲しみに触れられた。
「紙一重で生き残ったことで
苦悩した仲間も救われた」と明かす。
開拓民も戦争に
人生を翻弄された人々だ。
国策で満州(現中国東北部)や
内モンゴルに送られた
「満蒙開拓団」は、
約27万人に達したが、
終戦時の混乱に巻き込まれるなどして
約8万人が命を落とした。
「方正友好交流の会」
理事長大類善啓さん(73)は、
中国・ハルビン郊外の方正県で、
開拓民の墓を守っている
現地の人々と交流を重ねてきた。
両陛下が
元開拓民の苦労に寄り添われる
姿を見て8年前、
「旧開拓地に残る墓のことも
知っていただければ」と、
方正での
墓参りを記録した
映画「嗚呼 満蒙開拓団」の
DVDを皇居・御所に送った。
2ヶ月が過ぎた頃、
人を介し、
「大変重いテーマでした」という
両陛下の感想が届いた。
大類さんは
2時間に及ぶ映画を
見ていただけたことに驚き、
「大陸に眠る開拓民たちも
喜ぶはずだ」と胸を熱くしたという。