師の教え 自覚育む
若き日 責任・平等学ぶ
【読売 / 平成の天皇 - 戦争と平和 - ②】
広島の街を
一瞬で壊滅させた
原爆投下から
4年後の
1949年4月6日。
広島市を訪れ、
バラックと
空き地が広がる光景を
目の当たりにした
天皇陛下は、
被災した
同世代の青少年らの
前であいさつされた。
「あの惨劇に
二度と人類を陥れぬよう
大きな力とならなければならない。
私も責任を自覚して
勉強と修養に努力していきたい」
陛下は当時、
学習院高等科1年生。
公の場で初めてのお言葉だった。
読売新聞が
入手した栄木忠常・東宮侍従の
日記に、この草稿が残っていた。
「修養」の言葉を加筆するなど、
推敲が重ねられていた。
側近らが、
次代を担う皇太子に
自覚を植え付けようと
苦心した跡がうかがえる
48年11月28日には、
陛下が尊敬する人物として
《今上陛下(昭和天皇)》と
答えられたとの記述がある。
昭和天皇は
終戦翌月の
45年9月、
《一言いはしてくれ》と、
陛下に手紙を宛てている。
《軍人がバツコして大局を考へず》
などと敗因に触れた上で
《心体を大切に勉強なさい》と
激励する内容だった。
「いろいろな機会に手紙に
あるような内容を伺った」。
陛下は後に、
昭和天皇から先の大戦にまつわる
思いを聞いてきたことを明かされた。
戦後の日本は
軍国主義からの脱却を迫られた。
陛下も
46年4月、
東京・小金井の学習院中等科に進み
民主主義や平和、平等といった
新しい価値観に根差した
教育を受けられた。
その象徴が
昭和天皇の要請で来日した
米国人バイニング夫人だ。
陛下の家庭教師で
学習院の授業も受け持った夫人は
生徒一人一人に英語の名前をつけ
陛下も「ジミー」と呼び、
特別扱いしなかった。
「戦中なら
考えられなかったことで
時代の変化を感じた」と
同級生の真田尚裕さん(85)は話す。
明石元紹さん(84)は
「人に影響されず、
自発的に行動する大切さを学んだ」
という。
陛下の即位直後、
86歳だった夫人は
「私に課せられた任務は
欧米の価値観と
平和思想を
新天皇にお教えすることだった」と
読売新聞の取材に答えている。
若き皇太子の教育に尽くした
人物として、
慶応義塾の
元塾長小泉信三氏も挙げられる。
46年に
東宮御教育参与に就任すると
終生、
陛下を見守った。
《大元師であられますから
開戦に御責任がないとは申されぬ》。
2008年に見つかった
小泉氏の
「御進講覚書」。
皇太子の講義内容を書きとどめた
この文書は、
昭和天皇の
戦争責任にも言及していた
この一節には続きがある。
それでも民心が
皇室から離れないのは、
昭和天皇の君徳によるものだ。
殿下の勉強と修養は、
日本の明日の国運を左右するー。
先の大戦で
小泉氏は長男を亡くしていた。
次女の小泉妙さん(92)によると、
皇太子時代の陛下を自宅に
招いたこともあった。
陛下は小泉氏を師として気遣いつつ
自然に振る舞われた。
「お互いの信頼関係が
伝わってきた」と懐かしむ。
1951年元旦の
読売新聞は、
当時17歳で
高等科2年生の陛下が単独取材に対し
文書で答えられた
お言葉を掲載した。
バイニング夫人は
「信頼すべき方」であるとし、
最近読んだ本として
小泉氏の著者「今の日本」を挙げられた
「お互いにしっかり勉強して
世界平和のために努めましょう」。
回答は、
同世代に向けたメッセージで
締めくくられている。
若き日 責任・平等学ぶ
【読売 / 平成の天皇 - 戦争と平和 - ②】
広島の街を
一瞬で壊滅させた
原爆投下から
4年後の
1949年4月6日。
広島市を訪れ、
バラックと
空き地が広がる光景を
目の当たりにした
天皇陛下は、
被災した
同世代の青少年らの
前であいさつされた。
「あの惨劇に
二度と人類を陥れぬよう
大きな力とならなければならない。
私も責任を自覚して
勉強と修養に努力していきたい」
陛下は当時、
学習院高等科1年生。
公の場で初めてのお言葉だった。
読売新聞が
入手した栄木忠常・東宮侍従の
日記に、この草稿が残っていた。
「修養」の言葉を加筆するなど、
推敲が重ねられていた。
側近らが、
次代を担う皇太子に
自覚を植え付けようと
苦心した跡がうかがえる
48年11月28日には、
陛下が尊敬する人物として
《今上陛下(昭和天皇)》と
答えられたとの記述がある。
昭和天皇は
終戦翌月の
45年9月、
《一言いはしてくれ》と、
陛下に手紙を宛てている。
《軍人がバツコして大局を考へず》
などと敗因に触れた上で
《心体を大切に勉強なさい》と
激励する内容だった。
「いろいろな機会に手紙に
あるような内容を伺った」。
陛下は後に、
昭和天皇から先の大戦にまつわる
思いを聞いてきたことを明かされた。
戦後の日本は
軍国主義からの脱却を迫られた。
陛下も
46年4月、
東京・小金井の学習院中等科に進み
民主主義や平和、平等といった
新しい価値観に根差した
教育を受けられた。
その象徴が
昭和天皇の要請で来日した
米国人バイニング夫人だ。
陛下の家庭教師で
学習院の授業も受け持った夫人は
生徒一人一人に英語の名前をつけ
陛下も「ジミー」と呼び、
特別扱いしなかった。
「戦中なら
考えられなかったことで
時代の変化を感じた」と
同級生の真田尚裕さん(85)は話す。
明石元紹さん(84)は
「人に影響されず、
自発的に行動する大切さを学んだ」
という。
陛下の即位直後、
86歳だった夫人は
「私に課せられた任務は
欧米の価値観と
平和思想を
新天皇にお教えすることだった」と
読売新聞の取材に答えている。
若き皇太子の教育に尽くした
人物として、
慶応義塾の
元塾長小泉信三氏も挙げられる。
46年に
東宮御教育参与に就任すると
終生、
陛下を見守った。
《大元師であられますから
開戦に御責任がないとは申されぬ》。
2008年に見つかった
小泉氏の
「御進講覚書」。
皇太子の講義内容を書きとどめた
この文書は、
昭和天皇の
戦争責任にも言及していた
この一節には続きがある。
それでも民心が
皇室から離れないのは、
昭和天皇の君徳によるものだ。
殿下の勉強と修養は、
日本の明日の国運を左右するー。
先の大戦で
小泉氏は長男を亡くしていた。
次女の小泉妙さん(92)によると、
皇太子時代の陛下を自宅に
招いたこともあった。
陛下は小泉氏を師として気遣いつつ
自然に振る舞われた。
「お互いの信頼関係が
伝わってきた」と懐かしむ。
1951年元旦の
読売新聞は、
当時17歳で
高等科2年生の陛下が単独取材に対し
文書で答えられた
お言葉を掲載した。
バイニング夫人は
「信頼すべき方」であるとし、
最近読んだ本として
小泉氏の著者「今の日本」を挙げられた
「お互いにしっかり勉強して
世界平和のために努めましょう」。
回答は、
同世代に向けたメッセージで
締めくくられている。