抑留 移送中の死亡記録
旧ソ連 捕虜引き渡し
モンゴルに43人分
厚労省確認 氏名や死因
【読売新聞8.3】
太平洋戦争後
旧ソ連とモンゴルで
日本兵らが強制労働させられた
シベリア抑留で、
モンゴルの収容所へ
移送途中に亡くなった
43人の死亡状況を記した
記録がウランバートルの
モンゴル国防省中央公文書館に
残されていたことを
厚生労働省が確認した。
移送中の死亡記録はほとんど
見つかっておらず、
厚労省は
「早急にモンゴル政府から
入手して遺族に届ける。
ロシアにも
同様の記録がないか
調べたい」としている。
残されていたのは、
「死亡現確書」
「死亡診断書」など。
用箋1枚に日本語で
氏名、
部隊名、
階級、
本籍地、
死亡日時・場所、
死因を記載。
死亡の経緯や埋葬地を
書いたものもあった。
厚労省は、
旧日本軍の記録などから
39人は実在の日本兵と確認。
残る4人の身元の特定を進めている。
記載があった
死亡者の年齢は19歳~49歳。
死亡日は
1945年9月15日から
11月11日までで、
死亡場所は
満州(現中国東北部)の鉄道駅や
列車車内が多く、
ソ連領内を
行軍途中や
モンゴル入国後もあった。
死因は
栄養失調や
急性大腸炎が主で
赤痢、
肺結核も見られた。
立会者として
ソ連軍か
モンゴル軍の移送部隊隊長と、
日本軍の大隊長、
軍医らの名前を記していた。
満州や
朝鮮半島北部などを
占領したソ連は捕虜にした
日本人を45年9月から
労働力として2ヶ月以上かけ
全土の収容所に移送。
モンゴルへも
対日戦参加の見返りとして
1万4000人を引き渡した。
モンゴルへの移送は
主に満州鉄道ーシベリア鉄道の
北進、西進2ルートを使い、
2000㌔以上に及んだ。
日本兵らは
鉄道のない場所では
約100㌔行軍させられ、
鉄道では貨車に詰め込まれた。
抑留者の証言では
食事の配給も次第に減り、
衛生環境も劣悪で
死亡が相次いだというが
総数はわかっていない。
今回の死亡記録は
移送部隊が
移送報告の一環として
作成して軍本部に提出したものが
国防省の公文書館に収められ、
提供ルートから
漏れていたとみられる。
【シベリア抑留】
第2次世界大戦後
ソ連の各共和国と、
友好関係にあった
モンゴル人民共和国(当時)で
行われた強制抑留の総称。
スターリンの指令で
日本兵や
民間人ら
57万5000人(厚労省推定)が
約2000ヵ所の収容所に移送され、
飢えと寒さと重労働で
5万5000人
(うちモンゴルは1700人)が
死亡したとされる。
モンゴル現代史を研究する
昭和女子大のボルジギン・フスレ
教授が記録を入手し、
本紙から
連絡を受けた厚労省が6月、
職員を現地に派遣して確認した。
旧ソ連 捕虜引き渡し
モンゴルに43人分
厚労省確認 氏名や死因
【読売新聞8.3】
太平洋戦争後
旧ソ連とモンゴルで
日本兵らが強制労働させられた
シベリア抑留で、
モンゴルの収容所へ
移送途中に亡くなった
43人の死亡状況を記した
記録がウランバートルの
モンゴル国防省中央公文書館に
残されていたことを
厚生労働省が確認した。
移送中の死亡記録はほとんど
見つかっておらず、
厚労省は
「早急にモンゴル政府から
入手して遺族に届ける。
ロシアにも
同様の記録がないか
調べたい」としている。
残されていたのは、
「死亡現確書」
「死亡診断書」など。
用箋1枚に日本語で
氏名、
部隊名、
階級、
本籍地、
死亡日時・場所、
死因を記載。
死亡の経緯や埋葬地を
書いたものもあった。
厚労省は、
旧日本軍の記録などから
39人は実在の日本兵と確認。
残る4人の身元の特定を進めている。
記載があった
死亡者の年齢は19歳~49歳。
死亡日は
1945年9月15日から
11月11日までで、
死亡場所は
満州(現中国東北部)の鉄道駅や
列車車内が多く、
ソ連領内を
行軍途中や
モンゴル入国後もあった。
死因は
栄養失調や
急性大腸炎が主で
赤痢、
肺結核も見られた。
立会者として
ソ連軍か
モンゴル軍の移送部隊隊長と、
日本軍の大隊長、
軍医らの名前を記していた。
満州や
朝鮮半島北部などを
占領したソ連は捕虜にした
日本人を45年9月から
労働力として2ヶ月以上かけ
全土の収容所に移送。
モンゴルへも
対日戦参加の見返りとして
1万4000人を引き渡した。
モンゴルへの移送は
主に満州鉄道ーシベリア鉄道の
北進、西進2ルートを使い、
2000㌔以上に及んだ。
日本兵らは
鉄道のない場所では
約100㌔行軍させられ、
鉄道では貨車に詰め込まれた。
抑留者の証言では
食事の配給も次第に減り、
衛生環境も劣悪で
死亡が相次いだというが
総数はわかっていない。
今回の死亡記録は
移送部隊が
移送報告の一環として
作成して軍本部に提出したものが
国防省の公文書館に収められ、
提供ルートから
漏れていたとみられる。
【シベリア抑留】
第2次世界大戦後
ソ連の各共和国と、
友好関係にあった
モンゴル人民共和国(当時)で
行われた強制抑留の総称。
スターリンの指令で
日本兵や
民間人ら
57万5000人(厚労省推定)が
約2000ヵ所の収容所に移送され、
飢えと寒さと重労働で
5万5000人
(うちモンゴルは1700人)が
死亡したとされる。
モンゴル現代史を研究する
昭和女子大のボルジギン・フスレ
教授が記録を入手し、
本紙から
連絡を受けた厚労省が6月、
職員を現地に派遣して確認した。