浅利慶太
経営に手腕 ヒット続々
【読売新聞7.19】
劇団四季の創設者で
演出家の浅利慶太さんが
13日午後5時33分、
悪性リンパ腫のため
85歳で亡くなった。
告別式は近親者で済ませ、
後日、
お別れの会を開く予定。
喪主は妻で
女優の野村玲子
(本名・浅利玲子)さん。
東京都出身。
父親は築地小劇場の創立に
関わった俳優の浅利鶴雄、
大叔父は
歌舞伎俳優の
二代目市川左団次という
演劇に近い環境で育った。
慶応大在学中の
1953年に劇団四季を結成。
当時主流だった
新劇界の権威主義を批判し
純粋に人を感動させる
舞台芸術を目指して、
フランスの劇作家アヌイや
ジロドゥの作品を連続上演。
演出家としては、
日本語の美しさを大事にした。
また、
全国の専用劇場で
「キャッツ」
「オペラ座の怪人」
「ライオンキング」など、
英米の人気ミュージカルの
日本版の長期公演に成功。
劇団四季を劇団員1000人以上を
擁する日本を代表する
劇団に育て上げ、
日本にミュージカルを定着させた。
財政界とも交流が深く、
83年には
中曽根康弘元首相のブレーンとして
「日の出山荘」で行われた
レーガン米大統領との
「ロン・ヤス会談」の現場設営に
当たった。
98年の長野冬季五輪では、
開会式・閉会式の
総合プロデューサーも務めた。
読売演劇大賞芸術栄誉賞
紀伊国屋演劇賞
芸術選奨文部大臣賞など
数多くの演劇賞を受賞。
著書に
「時の光の中で」などがある。
中曽根元首相が弔意
18日、コメントを発表した。
「日の出山荘に
レーガン大統領を招き、
浅利さんの助言を受け
日米首脳会談を成功裏に
選ぶことができた」と、
浅利さんの功労を振り返った。
また、
「浅利さんは
政界の知己も多く、
色々な局面で助けて頂いた。
交流に感謝し、
安らかな永眠を
お祈りいたします」と悼んだ。
浅利慶太さんは
卓越した経営手腕で
ショービジネスとしての
演劇を日本に根付かせた。
劇団四季で
「キャッツ」や
「ライオンキング」などを
次々とヒットさせ、
演劇界に革命を起こした
浅利さんを、
悼む声が相次いだ。
4月に
「ミュージカル李香蘭」を演出するなど
5月まで精力的に活動していたが
6月初旬、
脳梗塞を発症して入院。
リハビリに励むも、
徐々に体力が落ち、
7月13日、
家族らに見守られて息を引き取った
「イエス・キリスト=スーパースター」
で主演した
鹿賀丈史さん(67)と、
「オペラ座の怪人」の主演
市村正親さん(69)が18日夜、
東京都内で取材に応じた。
鹿賀さんは
「稽古は厳しく
『ばかやろう』などと、
しょっちゅう言われていた。
厳しさの奥に
優しさ
ユーモアがあり、
魅力のある人だった」と
目頭を押さえた。
市村さんは
「ゼロから教育してもらって
浅利さんの演技論は全部覚えている
演出の仕方、
教え方がすごくうまかった」と
振り返った。
「褒めて褒めて、
ビシッとしかる。
(四季在団の)後半の頃は、
怒られてもたたくことで
若い俳優にダメ出しをしていた
僕の演技のお父さん。
16歳しか離れていないのにね」と
話した。
経営に手腕 ヒット続々
【読売新聞7.19】
劇団四季の創設者で
演出家の浅利慶太さんが
13日午後5時33分、
悪性リンパ腫のため
85歳で亡くなった。
告別式は近親者で済ませ、
後日、
お別れの会を開く予定。
喪主は妻で
女優の野村玲子
(本名・浅利玲子)さん。
東京都出身。
父親は築地小劇場の創立に
関わった俳優の浅利鶴雄、
大叔父は
歌舞伎俳優の
二代目市川左団次という
演劇に近い環境で育った。
慶応大在学中の
1953年に劇団四季を結成。
当時主流だった
新劇界の権威主義を批判し
純粋に人を感動させる
舞台芸術を目指して、
フランスの劇作家アヌイや
ジロドゥの作品を連続上演。
演出家としては、
日本語の美しさを大事にした。
また、
全国の専用劇場で
「キャッツ」
「オペラ座の怪人」
「ライオンキング」など、
英米の人気ミュージカルの
日本版の長期公演に成功。
劇団四季を劇団員1000人以上を
擁する日本を代表する
劇団に育て上げ、
日本にミュージカルを定着させた。
財政界とも交流が深く、
83年には
中曽根康弘元首相のブレーンとして
「日の出山荘」で行われた
レーガン米大統領との
「ロン・ヤス会談」の現場設営に
当たった。
98年の長野冬季五輪では、
開会式・閉会式の
総合プロデューサーも務めた。
読売演劇大賞芸術栄誉賞
紀伊国屋演劇賞
芸術選奨文部大臣賞など
数多くの演劇賞を受賞。
著書に
「時の光の中で」などがある。
中曽根元首相が弔意
18日、コメントを発表した。
「日の出山荘に
レーガン大統領を招き、
浅利さんの助言を受け
日米首脳会談を成功裏に
選ぶことができた」と、
浅利さんの功労を振り返った。
また、
「浅利さんは
政界の知己も多く、
色々な局面で助けて頂いた。
交流に感謝し、
安らかな永眠を
お祈りいたします」と悼んだ。
浅利慶太さんは
卓越した経営手腕で
ショービジネスとしての
演劇を日本に根付かせた。
劇団四季で
「キャッツ」や
「ライオンキング」などを
次々とヒットさせ、
演劇界に革命を起こした
浅利さんを、
悼む声が相次いだ。
4月に
「ミュージカル李香蘭」を演出するなど
5月まで精力的に活動していたが
6月初旬、
脳梗塞を発症して入院。
リハビリに励むも、
徐々に体力が落ち、
7月13日、
家族らに見守られて息を引き取った
「イエス・キリスト=スーパースター」
で主演した
鹿賀丈史さん(67)と、
「オペラ座の怪人」の主演
市村正親さん(69)が18日夜、
東京都内で取材に応じた。
鹿賀さんは
「稽古は厳しく
『ばかやろう』などと、
しょっちゅう言われていた。
厳しさの奥に
優しさ
ユーモアがあり、
魅力のある人だった」と
目頭を押さえた。
市村さんは
「ゼロから教育してもらって
浅利さんの演技論は全部覚えている
演出の仕方、
教え方がすごくうまかった」と
振り返った。
「褒めて褒めて、
ビシッとしかる。
(四季在団の)後半の頃は、
怒られてもたたくことで
若い俳優にダメ出しをしていた
僕の演技のお父さん。
16歳しか離れていないのにね」と
話した。