アニメ高めた先駆者
高畑勲さん死去
関係者ら悼む声
【読売新聞4.7】
アニメーションの巨匠で、
映画監督の高畑勲さんが
5日午前1時19分、
肺がんのため東京都内の病院で
亡くなった。
82歳だった。
映画「火垂るの墓」などの
名作でアニメーション表現の幅を広げ
子供から大人までも魅了した。
5月15日にお別れの会を行う予定。
東映動画を経て、
1974年にテレビアニメシリーズ
「アルプスの少女ハイジ」を発表
85年、同社で後輩だった
宮崎駿監督(77)らと
「スタジオジブリ」を設立。
88年に野坂昭如さん原作
「火垂るの墓」を監督し
戦争の悲劇を描いた。
監督作の
「おもひでぽろぽろ」(91年)、
「平成狸合戦ぽんぽこ」(94年)は
いずれも、
その年の日本映画の配給収入1位となる
98年に紫綬褒章。
2014年にはフランスの
アヌシー国際アニメーション映画祭の
名誉功労賞を受けた。
人間と社会をリアルに描き、
子供向けの娯楽と思われていた
アニメーションを
日本を代表する
文化へと飛躍させた先駆者。
映画監督の山田洋次さんは
「僕の友人としてはもちろん、
日本の映像文化の世界で最も
大切な人の一人、
いなくてはならない人を失った」。
「かぐや姫の物語」などの
音楽を担当した作曲家の久石譲さんは
「コンサートに来ていただき、
音楽にも深い見識のある方でした」
と振り返った。
「かぐや姫」の声を担当した
女優、朝倉あきさんも
『心の奥で輝く星のような存在でした
思い悩んでも、
いつかきっと必ず
あの光にたどり着くのだと、
いつも勇気をいただいた』と悲しんだ
大阪の下町を舞台にした
監督・演出作品である
「じゃりン子チエ」の映画(1981年)
テレビアニメ(81~83年)で、
主人公チエの父・テツの声優を
務めた漫才師の
西川のりおさん(66)は
「いまだに周りから
『じゃりン子チエ』の『テツ』と
言われます。
漫才以外の西川のりおを、
皆に語り継がれるものを作った方です
高畑監督は、
ニコッと笑いながら優しくて、
厳しい人でした。
人生ナンバーワンの
当たり役をくださって
ありがとうございます」との
談話を出した。
高畑勲さん死去
関係者ら悼む声
【読売新聞4.7】
アニメーションの巨匠で、
映画監督の高畑勲さんが
5日午前1時19分、
肺がんのため東京都内の病院で
亡くなった。
82歳だった。
映画「火垂るの墓」などの
名作でアニメーション表現の幅を広げ
子供から大人までも魅了した。
5月15日にお別れの会を行う予定。
東映動画を経て、
1974年にテレビアニメシリーズ
「アルプスの少女ハイジ」を発表
85年、同社で後輩だった
宮崎駿監督(77)らと
「スタジオジブリ」を設立。
88年に野坂昭如さん原作
「火垂るの墓」を監督し
戦争の悲劇を描いた。
監督作の
「おもひでぽろぽろ」(91年)、
「平成狸合戦ぽんぽこ」(94年)は
いずれも、
その年の日本映画の配給収入1位となる
98年に紫綬褒章。
2014年にはフランスの
アヌシー国際アニメーション映画祭の
名誉功労賞を受けた。
人間と社会をリアルに描き、
子供向けの娯楽と思われていた
アニメーションを
日本を代表する
文化へと飛躍させた先駆者。
映画監督の山田洋次さんは
「僕の友人としてはもちろん、
日本の映像文化の世界で最も
大切な人の一人、
いなくてはならない人を失った」。
「かぐや姫の物語」などの
音楽を担当した作曲家の久石譲さんは
「コンサートに来ていただき、
音楽にも深い見識のある方でした」
と振り返った。
「かぐや姫」の声を担当した
女優、朝倉あきさんも
『心の奥で輝く星のような存在でした
思い悩んでも、
いつかきっと必ず
あの光にたどり着くのだと、
いつも勇気をいただいた』と悲しんだ
大阪の下町を舞台にした
監督・演出作品である
「じゃりン子チエ」の映画(1981年)
テレビアニメ(81~83年)で、
主人公チエの父・テツの声優を
務めた漫才師の
西川のりおさん(66)は
「いまだに周りから
『じゃりン子チエ』の『テツ』と
言われます。
漫才以外の西川のりおを、
皆に語り継がれるものを作った方です
高畑監督は、
ニコッと笑いながら優しくて、
厳しい人でした。
人生ナンバーワンの
当たり役をくださって
ありがとうございます」との
談話を出した。