清朝最後の皇帝で
『ラストエンペラー』とも称される
愛新覚羅溥儀が
第2次大戦後、ソ連抑留中に
所持していた財宝を撮影した写真が
モスクワのロシア連邦国立公文書館に
残されていた。
昭和女子大のボルジギン・フスレ教授
(中国・モンゴル現代史)が確認した。
溥儀がソ連に財宝の一部を提供した
ことは自伝『わが半生』から
知られていたが、具体的な中身は
分かっていなかった。
写真は18枚あり、それぞれ裏に
宝石の種類や個数、重さが
ロシア語で書かれてあった。
写っていた財物は約150点。
『昆虫の形にデザインされた時計、
最高級のジュエリー』と題された
二つの時計を写した写真の裏には
『金の翼、
ダイヤモンド174個と
ルビー2個がはめ込まれたもの』
などと記されていた。
他の写真には、
300㌘を超える真珠など
多彩な宝飾品が写っていた。
終戦直後、
ソ連に抑留された溥儀は
中国への送還を防ぐため
『宝石や装身具をソ連に献納した』と
自伝に書いており、
写真の財宝は、
その献納された宝石や装身具と
みられる。フスレ教授によれば、
財宝は1946年時点で47.3万ルーブル相当
(現在価値で約4億円)と鑑定された。
教授は
『中国に送還されれば
処刑されるかもしれないと恐れていた
財宝を出してでも
戻されたくなかった心象が
うかがえる』と話す。
二木博史・東京外国語大名誉教授
(東北アジア史)の話
『ソ連はよく記録を残す傾向があるが
こうした写真を残していたとは
知らなかった。溥儀が手元に
置いた宝石。装身具が具体的に
分かる資料として重要だ』
【愛新覚羅溥儀】
1906~67年。
08年に清朝皇帝に即位したが
12年退位。
34年満州国皇帝に。
45年8月、
ソ連に捕まり、ハバロフスクに
抑留された。
50年、中国に引き渡され収監。
59年に特赦された。
『ラストエンペラー』とも称される
愛新覚羅溥儀が
第2次大戦後、ソ連抑留中に
所持していた財宝を撮影した写真が
モスクワのロシア連邦国立公文書館に
残されていた。
昭和女子大のボルジギン・フスレ教授
(中国・モンゴル現代史)が確認した。
溥儀がソ連に財宝の一部を提供した
ことは自伝『わが半生』から
知られていたが、具体的な中身は
分かっていなかった。
写真は18枚あり、それぞれ裏に
宝石の種類や個数、重さが
ロシア語で書かれてあった。
写っていた財物は約150点。
『昆虫の形にデザインされた時計、
最高級のジュエリー』と題された
二つの時計を写した写真の裏には
『金の翼、
ダイヤモンド174個と
ルビー2個がはめ込まれたもの』
などと記されていた。
他の写真には、
300㌘を超える真珠など
多彩な宝飾品が写っていた。
終戦直後、
ソ連に抑留された溥儀は
中国への送還を防ぐため
『宝石や装身具をソ連に献納した』と
自伝に書いており、
写真の財宝は、
その献納された宝石や装身具と
みられる。フスレ教授によれば、
財宝は1946年時点で47.3万ルーブル相当
(現在価値で約4億円)と鑑定された。
教授は
『中国に送還されれば
処刑されるかもしれないと恐れていた
財宝を出してでも
戻されたくなかった心象が
うかがえる』と話す。
二木博史・東京外国語大名誉教授
(東北アジア史)の話
『ソ連はよく記録を残す傾向があるが
こうした写真を残していたとは
知らなかった。溥儀が手元に
置いた宝石。装身具が具体的に
分かる資料として重要だ』
【愛新覚羅溥儀】
1906~67年。
08年に清朝皇帝に即位したが
12年退位。
34年満州国皇帝に。
45年8月、
ソ連に捕まり、ハバロフスクに
抑留された。
50年、中国に引き渡され収監。
59年に特赦された。