俳句に人間性、社会性
金子兜太さん死去
【読売新聞2.22】
戦後の前衛俳句運動の旗手として
活躍した俳人、金子兜太さんが
20日、急性呼吸促迫症候群のため
死去した。98歳だった。
太平洋戦争の激戦地から
生還した後、人間性や社会性を
重視した俳句を作り、
晩年には生命の豊かさに共感する
『生きもの感覚』を詠む境地に
至った、俳壇の重鎮だった。
今月6日に緊急入院。
最期をみとった長男の眞士さん(69)
は、『子どもの頃には、
父はすでに俳壇の寵児。
俳句をはじめ、自分に対して
厳しい人でしたが、
子育ては母任せでした。
最期は穏やかに逝きました』
と語った。
埼玉県生まれ。東京帝大在学中から
加藤楸邨に師事。
戦争で同大を繰り上げ卒業し、
日本銀行に入行してすぐ海軍に
入った。主計中尉として南洋の
トラック諸島に赴任し、
現地で終戦。戦後は日銀に復職して
作句を続け、
〈人体冷えて東北白い花盛り〉など、
伝統的な
『花鳥諷詠』や五七五の定型に
とらわれず、叙情に流されない
イメージ豊かな句を詠んだ。
1962年、
俳誌『海程』を創刊し、
85年から主宰。
83年から
2000年まで現代俳句協会会長を務め
同年、同名誉会長に。
晩年は、故郷の秩父の風土性が強く
にじむ句を多く作り、
02年に『東国抄』で蛇笏賞を受けた。
03年に日本芸術院賞。
05年に日本芸術院会員、
08年に文化功労賞。
告別式は近親者で行い、
後日お別れの会を開く予定。
喪主は眞士さん。
☆金子さんと対談本を出すなど
親交があった作家の半藤一利さん(87)
の話
『おっかない人のように見えるが
実際はとても優しい人。
昭和史の取材をした際、
トラック諸島での
空襲の話を詳しくしてくれた。
風景を詠むだけではなく、
俳句は日本人の精神を詠むものだとの
自負があったと思う』
金子兜太さん死去
【読売新聞2.22】
戦後の前衛俳句運動の旗手として
活躍した俳人、金子兜太さんが
20日、急性呼吸促迫症候群のため
死去した。98歳だった。
太平洋戦争の激戦地から
生還した後、人間性や社会性を
重視した俳句を作り、
晩年には生命の豊かさに共感する
『生きもの感覚』を詠む境地に
至った、俳壇の重鎮だった。
今月6日に緊急入院。
最期をみとった長男の眞士さん(69)
は、『子どもの頃には、
父はすでに俳壇の寵児。
俳句をはじめ、自分に対して
厳しい人でしたが、
子育ては母任せでした。
最期は穏やかに逝きました』
と語った。
埼玉県生まれ。東京帝大在学中から
加藤楸邨に師事。
戦争で同大を繰り上げ卒業し、
日本銀行に入行してすぐ海軍に
入った。主計中尉として南洋の
トラック諸島に赴任し、
現地で終戦。戦後は日銀に復職して
作句を続け、
〈人体冷えて東北白い花盛り〉など、
伝統的な
『花鳥諷詠』や五七五の定型に
とらわれず、叙情に流されない
イメージ豊かな句を詠んだ。
1962年、
俳誌『海程』を創刊し、
85年から主宰。
83年から
2000年まで現代俳句協会会長を務め
同年、同名誉会長に。
晩年は、故郷の秩父の風土性が強く
にじむ句を多く作り、
02年に『東国抄』で蛇笏賞を受けた。
03年に日本芸術院賞。
05年に日本芸術院会員、
08年に文化功労賞。
告別式は近親者で行い、
後日お別れの会を開く予定。
喪主は眞士さん。
☆金子さんと対談本を出すなど
親交があった作家の半藤一利さん(87)
の話
『おっかない人のように見えるが
実際はとても優しい人。
昭和史の取材をした際、
トラック諸島での
空襲の話を詳しくしてくれた。
風景を詠むだけではなく、
俳句は日本人の精神を詠むものだとの
自負があったと思う』