野中広務
自民党幹事長や官房長官などを
務めた元衆院議員の
野中広務氏が
26日午後、京都市内の病院で死去した
92歳だった。
告別式は未定。
野中氏は
旧制京都府立園部中学校を卒業後、
園部町議、
園部町長、
府議、
副知事を経て、
1983年の衆院補欠選挙で
旧京都2区から初当選した。
2003年10月に政界を引退するまで、
連続7回当選した。
1994年6月に村山内閣で
自治相・国家公安員長として
初入閣し、95年1月の
阪神・淡路大震災、
3月の地下鉄サリン事件などの
対応に手腕を発揮。
98年7月の小渕内閣で官房長官となり
自由・公明との3党連立の立役者と
なった。2000年4月の森内閣では
党幹事長に就任。
加藤紘一・元幹事長が内閣不信任案に
同調する動きを見せた
『加藤の乱』では、鎮圧に回った。
公明党をはじめ、
与野党に幅広いパイプを持ち
郵政族議員の実力者として
知られたが、
小泉内閣誕生後は非主流派として
重要ポストから遠ざかった。
小泉元首相が推し進めた
郵政民営化などの構造改革路線を
批判し、
03年9月の自民党総裁選の
さなかに電撃的に政界引退を表明した
政界引退後も全国土地改良事業団体
連合会の会長として自民党を支えたが
民主党政権時代の11年4月、
『国の補助金をもらっている
団体の長が政党に属するべきではない』
として、自民党を離党。
16年6月に復党した。
自民党幹事長や官房長官などを
務めた元衆院議員の
野中広務氏が
26日午後、京都市内の病院で死去した
92歳だった。
告別式は未定。
野中氏は
旧制京都府立園部中学校を卒業後、
園部町議、
園部町長、
府議、
副知事を経て、
1983年の衆院補欠選挙で
旧京都2区から初当選した。
2003年10月に政界を引退するまで、
連続7回当選した。
1994年6月に村山内閣で
自治相・国家公安員長として
初入閣し、95年1月の
阪神・淡路大震災、
3月の地下鉄サリン事件などの
対応に手腕を発揮。
98年7月の小渕内閣で官房長官となり
自由・公明との3党連立の立役者と
なった。2000年4月の森内閣では
党幹事長に就任。
加藤紘一・元幹事長が内閣不信任案に
同調する動きを見せた
『加藤の乱』では、鎮圧に回った。
公明党をはじめ、
与野党に幅広いパイプを持ち
郵政族議員の実力者として
知られたが、
小泉内閣誕生後は非主流派として
重要ポストから遠ざかった。
小泉元首相が推し進めた
郵政民営化などの構造改革路線を
批判し、
03年9月の自民党総裁選の
さなかに電撃的に政界引退を表明した
政界引退後も全国土地改良事業団体
連合会の会長として自民党を支えたが
民主党政権時代の11年4月、
『国の補助金をもらっている
団体の長が政党に属するべきではない』
として、自民党を離党。
16年6月に復党した。