90年盧泰愚氏来日

『痛惜の念』陛下意向

日韓の歴史

『気持ち伝えたい』

天皇陛下が1990年、

当時の盧泰愚・韓国大統領を迎えた

宮中晩餐会の〔お言葉〕で、

日韓の歴史に言及しながら

表明された『痛惜の念』は、

陛下のお気持ちをくみ、

政府が盛り込んだ表現だったことが

わかった。

当時の首相海部俊樹氏(86)

が読売新聞の取材に明らかにした。

このお言葉は、

昭和天皇が84年に伝えた『遺憾』よりも

踏み込んだ表現を求めていた

韓国側に高く評価されたが

政府は内閣で

調整したという説明にとどめていた。

盧氏の日本への公式訪問は

韓国大統領としては

84年の全斗煥氏に続いて2人目で

平成では初めてだった。

84年当時、昭和天皇が宮中晩餐会で

全氏に『両国の間に不幸な過去が

存したことは誠に遺憾』と

伝えたが、韓国側には

『誰の責任か不明確だ』と不満が

残った。6年後、盧氏の来日が

決まると、韓国側は天皇陛下の

〔お言葉〕でより踏み込んだ内容を

求めた。日本側には、与党の自民党を

中心に

『政治の利害にかかわることで

天皇陛下の言葉を借りるべきではない』

など、政府に慎重な対応を求める意見が

あり、政治問題化した。

最終的に陛下は、90年5月24日の

晩餐会で

『我が国によってもたらされたこの

不幸な時期に、貴国の人々が味わわれた

苦しみを思い、私は痛惜の念を

禁じえません』と述べ

日本の責任をより明確な形で表現された

この〔お言葉〕を韓国側は

高く評価。盧氏は晩餐会から

2日後の記者会見で

『極めて意義深く受け止めた。

過去の不幸な歴史は一応決着した』

と発言した。

海部氏によると、当初は天皇の

政治的行為を禁じた

憲法規定を踏まえ、

『国政の最高責任者である

首相が陳謝すれば十分で

陛下が歴史問題に言及される

必要はない』と考えていた。

だが、韓国側の要請に加え、

宮内庁を通じ、

『過去の歴史についてきちんと気持ちを

伝えたい』という陛下の強い希望が

伝わり、有識者の助言を得ながら

自ら調整に関わり、お言葉の文言を

政府で決定したという。

政府はこの陛下のお言葉の

作成過程について、

国会での答弁で

『宮内庁と外務省が協議し、

最終的に内閣が調整している』と

説明していた。

当時、官房副長官として調整に

当たった石原信雄氏(91)も取材に対し

海部氏と同様に

『『痛惜の念』は、宮内庁を通じて

伝わってきた陛下のお気持ちを

生かした表現で、

官邸からお願いして述べていただいた

のではない』と話した。

憲法下 最大限の意思表示

天皇陛下が韓国側に伝えられた

『痛惜の念』は

『天皇は、国政に関する権能を

有しない』と定めた憲法4条を

踏まえつつ、象徴の役割を果たすため

考え抜かれたギリギリの表現だった。

天皇の政治的行為を巡っては

様々な意見があるが、

政府は、国民の間に意見の対立がある

政治的な事柄に影響を及ぼす行為は

避ける形で、天皇を補佐してきた。

海部氏は

憲法4条との整合性に最も頭を悩ませ

お気持ちの表現で専門家の助言を

仰いだと明かす。

『痛惜』とは心から残念に思うことで

海部首相が当時表明した

『謝罪』とは異なるが、

天皇の〔お言葉〕だからこそ

その重みが伝わった。

陛下は憲法上の制約を意識しながら

日本の象徴として伝えるべき

〔お言葉〕を模索されてきた。

高齢化社会における

象徴の務めの在り方を問うため

昨年8月、退位の意向を示唆された

〔お言葉〕もその延長線上にある。

【読売新聞12.30  社会部 太田雅之】



◆盧泰愚大統領を迎えた宮中晩餐会での

天皇陛下のお言葉◆

(1990年5月24日)

『朝鮮半島と我が国との長く豊かな

交流の歴史を振り返るとき、

昭和天皇が

『今世紀の一時期において、

両国の間に

不幸な過去が存したことは

誠に遺憾であり、

再び繰り返されてはならない』と

述べられたことを

思い起こします。

我が国によって

もたらされたこの不幸な時期に、

貴国の人々が

味わわれた苦しみを思い

私は痛惜の念を禁じえません』