土山秀夫氏死去
長崎の平和運動リード
被爆地・長崎の反核平和運動で
中心的な役割を果たした元長崎大学長の
土山秀夫氏が2日、多臓器不全のため
長崎市内の病院で死去した。
92歳だった。
告別式は近親者で行う。
1945年8月9日に原爆を投下された
長崎に翌日入り、
残留放射線を浴びて被爆。
当時は長崎医科大学
(現長崎大学医学部)の学生で、
負傷者の救護に奔走した。
88~92年に長崎大学長。
国内外の非政府組織(NGO)による
国際会議[核兵器廃絶ー地域市民集会
ナガサキ]を実行委員長として
4度開催した。
長崎原爆をテーマにした
山田洋次監督の映画
[母と暮らせば]で、
主人公のモデルとなりました。
長崎の平和運動リード
被爆地・長崎の反核平和運動で
中心的な役割を果たした元長崎大学長の
土山秀夫氏が2日、多臓器不全のため
長崎市内の病院で死去した。
92歳だった。
告別式は近親者で行う。
1945年8月9日に原爆を投下された
長崎に翌日入り、
残留放射線を浴びて被爆。
当時は長崎医科大学
(現長崎大学医学部)の学生で、
負傷者の救護に奔走した。
88~92年に長崎大学長。
国内外の非政府組織(NGO)による
国際会議[核兵器廃絶ー地域市民集会
ナガサキ]を実行委員長として
4度開催した。
長崎原爆をテーマにした
山田洋次監督の映画
[母と暮らせば]で、
主人公のモデルとなりました。