幕末の[蛤御門の変]
(1864年)で、新撰組が京都の南の
玄関口だった東九条村
(京都市南区)の豪農宅に宿陣し、
周辺でも戦闘を繰り広げていたことが
長谷川家住宅
(同市、国登録有形文化財)から
発見された日記で分かった。
18日、京都女子大学の中村武生
非常勤講師(幕末政治史)らが
発表した。
これまでは村から数百㍍南の
鴨川・九条河原で野営していたと
考えられていた。
中村講師によると、蛤御門の変で、
陣があった場所など新撰組の具体的な
動きが明らかになるのは初めて。
[当時の戦い方が分かる貴重な史料]
としている。
蛤御門の変は、前年に京都から
追放されていた長州勢が、
京都守護職の
会津藩主松平容保の排斥を求めて
挙兵。京都御所などで会津勢と
武力衝突した事件で、
市内は大火に包まれた。
日記には、当時、新撰組が村の
豪農宅3軒に陣を置いたと記載。
新撰組や会津藩の家臣らも
同村に陣を置き、そのことで村の
行事が中止になったなどと書かれている
(1864年)で、新撰組が京都の南の
玄関口だった東九条村
(京都市南区)の豪農宅に宿陣し、
周辺でも戦闘を繰り広げていたことが
長谷川家住宅
(同市、国登録有形文化財)から
発見された日記で分かった。
18日、京都女子大学の中村武生
非常勤講師(幕末政治史)らが
発表した。
これまでは村から数百㍍南の
鴨川・九条河原で野営していたと
考えられていた。
中村講師によると、蛤御門の変で、
陣があった場所など新撰組の具体的な
動きが明らかになるのは初めて。
[当時の戦い方が分かる貴重な史料]
としている。
蛤御門の変は、前年に京都から
追放されていた長州勢が、
京都守護職の
会津藩主松平容保の排斥を求めて
挙兵。京都御所などで会津勢と
武力衝突した事件で、
市内は大火に包まれた。
日記には、当時、新撰組が村の
豪農宅3軒に陣を置いたと記載。
新撰組や会津藩の家臣らも
同村に陣を置き、そのことで村の
行事が中止になったなどと書かれている