大田昌秀氏死去
元沖縄知事、基地問題に尽力
12日午前11時50分、
肺炎と呼吸不全のため那覇市内の
病院で死去した。
この日が92歳の誕生日だった。
沖縄県の久米島生まれ。
沖縄師範学校在学中に
鉄血勤皇隊に動員されて
沖縄戦に身を投じた。
戦後、早大教卒。
琉球大教授などを経て1990年に
沖縄県知事選で初当選。
2期8年を務めた。
知事時代の95年に起きた米兵による
少女暴行事件をきっかけに
爆発した県民の怒りを背景に、
政府と鋭く対立。米軍用地の強制使用の
代理署名を拒むなど政府に基地問題の
解決を迫り、日米両政府は96年に
米軍普天間基地の返還で合意した。
普天間基地の移設先についても
[県外]を求める姿勢を貫いた。
政府との関係悪化により沖縄振興策が
滞り[県政不況]が指摘され、
98年の知事選で地元経済界が推す
稲嶺恵一氏に敗れた。
知事在任中に、
沖縄戦などの戦没者の名前を刻んだ
[平和の礎]を建設した。
2001年には社民党から参院選に
立候補して当選し、1期6年務めた。
政界引退後は沖縄国際平和研究所の
理事長を務めていた。
元沖縄知事、基地問題に尽力
12日午前11時50分、
肺炎と呼吸不全のため那覇市内の
病院で死去した。
この日が92歳の誕生日だった。
沖縄県の久米島生まれ。
沖縄師範学校在学中に
鉄血勤皇隊に動員されて
沖縄戦に身を投じた。
戦後、早大教卒。
琉球大教授などを経て1990年に
沖縄県知事選で初当選。
2期8年を務めた。
知事時代の95年に起きた米兵による
少女暴行事件をきっかけに
爆発した県民の怒りを背景に、
政府と鋭く対立。米軍用地の強制使用の
代理署名を拒むなど政府に基地問題の
解決を迫り、日米両政府は96年に
米軍普天間基地の返還で合意した。
普天間基地の移設先についても
[県外]を求める姿勢を貫いた。
政府との関係悪化により沖縄振興策が
滞り[県政不況]が指摘され、
98年の知事選で地元経済界が推す
稲嶺恵一氏に敗れた。
知事在任中に、
沖縄戦などの戦没者の名前を刻んだ
[平和の礎]を建設した。
2001年には社民党から参院選に
立候補して当選し、1期6年務めた。
政界引退後は沖縄国際平和研究所の
理事長を務めていた。