ペギー葉山さんが

12日午前11:55

肺炎のため死去しました。

83歳

童謡[ドレミの歌]や[南国土佐を後にして]

などのヒット曲で知られる歌手の

ペギー葉山(本名・小鷹狩繁子)さんが

12日11時55分、肺炎のため

東京都内の病院で死去した。

連絡先はキングレコード。

お別れ会を行うが日取りなどは未定。

東京都新宿区出身。

戦後間もない青山学院高等部のころから

米軍キャンプでジャズを歌い、

1952年にジャズ歌手として

レコードデビュー。

高知出身者中心の部隊が戦時中に

作った曲を民謡調にした

[南国土佐を後にして]を58年に歌い

大ヒットした。

米ミュージカル

[サウンド・オブ・ミュージック]の

劇中歌に自ら日本語訳をつけた

[ドレミの歌]のほか[学生時代]

[ラ・ノビア]などのヒット曲を歌い

国民的歌手として人気を集めた。

レパートリーのジャンルは幅広く

2007年6月には女性初の会長就任

[社団法人日本歌手協会7代目会長]

1995年に紫綬褒章受賞

父方は広島藩主・浅野家の家老職を

勤めた家系

母方の祖父は白虎隊の生き残り

[日本経済新聞4.13]

12日に83歳で亡くなった歌手の

ペギー葉山さんは、

デビュー65周年を迎えた今年も

現役で活動を続けていた。

2月に取材し、3月に掲載した

本紙夕刊のインタビュー記事で、

歌への熱い思いを語ったばかりだった。

[アメリカンポップスが私の歌のいしずえ]

と強調していた。

[日本のドリス・デイ]と呼ばれ、

英語で歌うのを得意としたが、

アメリカンポップスでも

ワンコーラスは日本語で歌うように

していた。

[歌詞を伝達することが最も大切]が

持論のペギー葉山さんにとっては

自然なことだった。

米国ブロードウェイで[ドレミの歌]を

知り、自ら[ドはドーナツのド]で

始まる日本語の歌詞を付けて日本に

紹介したのも、その成果だったといえる

[デビュー当時、洋楽のリズムに

日本語を乗せようと、自分なりに

いろいろと歌い回しを工夫した]と

語っていた。

50年代前半のこの試行錯誤が、

後に流行するロカビリーや

カバーポップスなどにつながり、

今のJポップの基礎になったともいえる

日本のポピュラー音楽の発展に大きく

貢献した歌手だった。

[日経/文化往来]