福岡県大野城市の水城跡
(国特別史跡)で、
古代律令国家の機関・大宰府に続く
9世紀ごろの官道の側溝跡が見つかり、
市教育委員会が1日までに発表した。
外交使節が通ったという
官道の構造を知る手掛かりと
なりそうだ。
側溝跡は、大宰府の防衛施設だった
土塁[水城]の西門跡の外側で出土。
幅は最も広い所が7.5㍍以上、
底の幅は約2.5~3㍍、
深さは50~60㌢で、
排水用とみられる。
これまでの調査結果と合わせ、
約60㍍続いていたことが確認できた。
官道は、
大宰府中枢部から西門を抜けて
博多湾側へ真っ直ぐに延び、
外交使節をもてなす迎賓館
[鴻臚館]まで十数㌔続いていたとされる。
道幅は推定で10~12㍍。
このほか、西門付近で水城の土塁と
並行して掘られた3本の溝跡を発見。
市教育委員会は、
敵の侵攻を防ぐ外堀の役割を
果たしていたとみている。
水城は全長1.2㌔あり、
過去の調査で、
東門付近には幅約60㍍の広い
外堀が確認されていた。
堀の構造が東西の門で異なっていた
可能性が高まった。
水城跡は
大野城市と大宰府市、春日市に
またがる古代の防衛施設。
663年の
[白村江の戦い]で唐・新羅の連合軍に
敗れた倭国(日本)が、
侵攻に備えて築造したとされる。
[日本経済新聞3.1]
(国特別史跡)で、
古代律令国家の機関・大宰府に続く
9世紀ごろの官道の側溝跡が見つかり、
市教育委員会が1日までに発表した。
外交使節が通ったという
官道の構造を知る手掛かりと
なりそうだ。
側溝跡は、大宰府の防衛施設だった
土塁[水城]の西門跡の外側で出土。
幅は最も広い所が7.5㍍以上、
底の幅は約2.5~3㍍、
深さは50~60㌢で、
排水用とみられる。
これまでの調査結果と合わせ、
約60㍍続いていたことが確認できた。
官道は、
大宰府中枢部から西門を抜けて
博多湾側へ真っ直ぐに延び、
外交使節をもてなす迎賓館
[鴻臚館]まで十数㌔続いていたとされる。
道幅は推定で10~12㍍。
このほか、西門付近で水城の土塁と
並行して掘られた3本の溝跡を発見。
市教育委員会は、
敵の侵攻を防ぐ外堀の役割を
果たしていたとみている。
水城は全長1.2㌔あり、
過去の調査で、
東門付近には幅約60㍍の広い
外堀が確認されていた。
堀の構造が東西の門で異なっていた
可能性が高まった。
水城跡は
大野城市と大宰府市、春日市に
またがる古代の防衛施設。
663年の
[白村江の戦い]で唐・新羅の連合軍に
敗れた倭国(日本)が、
侵攻に備えて築造したとされる。
[日本経済新聞3.1]