天皇陛下 寄贈ハゼと再会
ベトナムを親善訪問中の
天皇、皇后両陛下は2日、首都ハノイの
博物館を訪問される。同館には、
魚類分類学の研究者でもある
天皇陛下がかつて新種として発表し
41年前に寄贈したベトナム原産ハゼの
標本がある。関係者は
[今回の訪問を機に、日越の研究者の
交流が一層盛んになれば]と期待する。
訪問先は[自然科学大学]の生物学博物館。
前身は1906年にベトナム初の
西洋式大学として設立された
研究・教育機関で、2万3千種を越える
生物の標本を所蔵する。
秋篠宮さまが2012年にベトナムを
訪問した際に寄贈された尾長鶏の
剥製も展示されている。
陛下は皇太子だった20代から
公務の合間にハゼを中心とした
魚類分類学の研究に取り組まれてきた。
74年、日本の研究者からベトナム南部の
カントー川支流で採取されたハゼの
標本を入手し、頭部やエラの器官の
形などを顕微鏡で詳細に観察した結果、
新種と突き止められた。
当時は毎晩のように、遅くまで
東宮御所内の研究室で顕微鏡を
のぞかれていたという。
陛下の研究について知る宮内庁関係者は
[遺伝子解析のような現代の手法と
異なり、細やかな骨を染色して
形態を比較観察する、当時から
続けてこられた陛下の研究手法は
大変な根気が必要。今思えば、
一つ一つの公務を大切にこなされてきた
陛下の姿勢は研究にも通じるものが
ある]と話す。
生物の分類学では、新種を発表する
ときには、形態の記載の根拠となる
[基準標本]を作るのがルール。
当時はベトナム戦争のさなかだった
ため、陛下は75年の戦争終結を待ち、
翌76年に新種のハゼの基準標本のうち
1つを国立科学博物館(東京都)に、
もう1つを副基準標本として、
現在の自然科学大学の生物学博物館に
寄贈された。論文も同年に発表された
という。
宮内庁関係者は
[基準標本は分類学にとって極めて
重要な資料だが、原産国から研究の
先進国に流出するケースも多かった。
陛下は《標本は原産国で保管される
べきだ》という考えを強く持たれていた]
と話す。こうした考え方について、
国立科学博物館の篠原現人研究主幹
(魚類学)は
[当時としては非常に先進的だった]と
指摘。
[日本とベトナムの研究者の交流が
盛んになることも期待されていたので
はないか]としている。
ベトナムを親善訪問中の
天皇、皇后両陛下は2日、首都ハノイの
博物館を訪問される。同館には、
魚類分類学の研究者でもある
天皇陛下がかつて新種として発表し
41年前に寄贈したベトナム原産ハゼの
標本がある。関係者は
[今回の訪問を機に、日越の研究者の
交流が一層盛んになれば]と期待する。
訪問先は[自然科学大学]の生物学博物館。
前身は1906年にベトナム初の
西洋式大学として設立された
研究・教育機関で、2万3千種を越える
生物の標本を所蔵する。
秋篠宮さまが2012年にベトナムを
訪問した際に寄贈された尾長鶏の
剥製も展示されている。
陛下は皇太子だった20代から
公務の合間にハゼを中心とした
魚類分類学の研究に取り組まれてきた。
74年、日本の研究者からベトナム南部の
カントー川支流で採取されたハゼの
標本を入手し、頭部やエラの器官の
形などを顕微鏡で詳細に観察した結果、
新種と突き止められた。
当時は毎晩のように、遅くまで
東宮御所内の研究室で顕微鏡を
のぞかれていたという。
陛下の研究について知る宮内庁関係者は
[遺伝子解析のような現代の手法と
異なり、細やかな骨を染色して
形態を比較観察する、当時から
続けてこられた陛下の研究手法は
大変な根気が必要。今思えば、
一つ一つの公務を大切にこなされてきた
陛下の姿勢は研究にも通じるものが
ある]と話す。
生物の分類学では、新種を発表する
ときには、形態の記載の根拠となる
[基準標本]を作るのがルール。
当時はベトナム戦争のさなかだった
ため、陛下は75年の戦争終結を待ち、
翌76年に新種のハゼの基準標本のうち
1つを国立科学博物館(東京都)に、
もう1つを副基準標本として、
現在の自然科学大学の生物学博物館に
寄贈された。論文も同年に発表された
という。
宮内庁関係者は
[基準標本は分類学にとって極めて
重要な資料だが、原産国から研究の
先進国に流出するケースも多かった。
陛下は《標本は原産国で保管される
べきだ》という考えを強く持たれていた]
と話す。こうした考え方について、
国立科学博物館の篠原現人研究主幹
(魚類学)は
[当時としては非常に先進的だった]と
指摘。
[日本とベトナムの研究者の交流が
盛んになることも期待されていたので
はないか]としている。