【温故知親】
両陛下ベトナム訪問〔上〕
[日本経済新聞2.24]
天皇、皇后両陛下が28日から
ベトナムを初訪問が光を当てる日越の
知られざる近現代史を振り返る。
[贖罪の気持ちを持ち続けてきた]
大阪市に住む
杉原剛さん(95)の口は重い。
日本とベトナムの民間交流団体
[日本ベトナム友好協会](東京・豊島)の
創設メンバーとして、
1973年の日越国交樹立前から
活動してきた。
ただ[贖罪]の内容については
多くを語らない。
旧日本海軍の下士官として
終戦を中国・海南島で迎えた。
その後、食糧調達に向かった
ベトナムの沖合で船が難破。
漂着した海岸で、対仏独立を求めて
戦うベトミン(ベトナム独立同盟会)軍の
兵士らに囲まれた。
[国の建設に参加してほしいと
頼まれた。従う以外に選択の
余地がなかった]と。
任務は民兵訓練。不発弾を集めて爆薬を
作り、手旗信号やロープの結び方を
教えた。自らもベトナム語を覚え、
植民地支配からの脱却を願う若い兵士らの
純粋な思いに共感した。
[このままベトナムに骨を埋めてもいい]
現地女性と結婚、2児の父親にもなった。
突然、帰国を命じられたのは54年。
妻は三男を妊娠していたが、
日本への同行は認められなかった。
[国交がないから]と現地の当局者から
説明された。
[子供たちは我々が責任を持って
育てると言われ、信じるしかなかった]
それから60年余り。
杉原さんは一度もベトナムを訪れてない
その理由を周囲に語ることもない。
だが、帰国後すぐに友好協会を
仲間と立ち上げ、寄付金を募って
長男が暮らす地区に小学校の校舎を
建てるなど、草の根の活動に
取り組んできた。
杉原さんと同様、多くの家族が
国家間の事情で引き離された。
野波勝三郎さん
(2004年に73歳で死去)もその一人。
(一部、省略)
今回のベトナム訪問で、
天皇、皇后両陛下は
元日本兵の家族十数人と面会される。
関係者からは
[2度の戦争を戦った人々の存在や
歴史に光が当たるきっかけになる]との
ベトナムを去る際、
4歳だった長男の胸に平和の象徴の
ハトが描かれたバッジをつけ
[今度帰る時はもっと大きな
(平和という)ハトを持ってきてやるからな]
と言い聞かせたという杉原さん。
両陛下の面会予定者には
その長男も含まれている。
両陛下ベトナム訪問〔上〕
[日本経済新聞2.24]
天皇、皇后両陛下が28日から
ベトナムを初訪問が光を当てる日越の
知られざる近現代史を振り返る。
[贖罪の気持ちを持ち続けてきた]
大阪市に住む
杉原剛さん(95)の口は重い。
日本とベトナムの民間交流団体
[日本ベトナム友好協会](東京・豊島)の
創設メンバーとして、
1973年の日越国交樹立前から
活動してきた。
ただ[贖罪]の内容については
多くを語らない。
旧日本海軍の下士官として
終戦を中国・海南島で迎えた。
その後、食糧調達に向かった
ベトナムの沖合で船が難破。
漂着した海岸で、対仏独立を求めて
戦うベトミン(ベトナム独立同盟会)軍の
兵士らに囲まれた。
[国の建設に参加してほしいと
頼まれた。従う以外に選択の
余地がなかった]と。
任務は民兵訓練。不発弾を集めて爆薬を
作り、手旗信号やロープの結び方を
教えた。自らもベトナム語を覚え、
植民地支配からの脱却を願う若い兵士らの
純粋な思いに共感した。
[このままベトナムに骨を埋めてもいい]
現地女性と結婚、2児の父親にもなった。
突然、帰国を命じられたのは54年。
妻は三男を妊娠していたが、
日本への同行は認められなかった。
[国交がないから]と現地の当局者から
説明された。
[子供たちは我々が責任を持って
育てると言われ、信じるしかなかった]
それから60年余り。
杉原さんは一度もベトナムを訪れてない
その理由を周囲に語ることもない。
だが、帰国後すぐに友好協会を
仲間と立ち上げ、寄付金を募って
長男が暮らす地区に小学校の校舎を
建てるなど、草の根の活動に
取り組んできた。
杉原さんと同様、多くの家族が
国家間の事情で引き離された。
野波勝三郎さん
(2004年に73歳で死去)もその一人。
(一部、省略)
今回のベトナム訪問で、
天皇、皇后両陛下は
元日本兵の家族十数人と面会される。
関係者からは
[2度の戦争を戦った人々の存在や
歴史に光が当たるきっかけになる]との
ベトナムを去る際、
4歳だった長男の胸に平和の象徴の
ハトが描かれたバッジをつけ
[今度帰る時はもっと大きな
(平和という)ハトを持ってきてやるからな]
と言い聞かせたという杉原さん。
両陛下の面会予定者には
その長男も含まれている。