[真珠湾]直前 緊迫伝える
[日本経済新聞12.5]
日米開戦の口火を切った真珠湾攻撃で
旧日本海軍が潜水艦に向けた軍事情報の
無線送信に使ったとされる
[依佐美送信所]の当時の稼働状況が
記された業務日誌が見つかった。
具体的な内容は分からないものの
攻撃2ヵ月前の1941年10月中旬から
ほぼ連日稼働し、事態が緊迫していく
様子が読み取れる。
共同通信が刈谷市に情報公開請求し
4日までに確認した。
真珠湾攻撃から8日(日本時間)で75年。
国家機密だった戦時の軍事通信に
関する情報はほとんど残っていない。
開戦に向かう旧日本軍の足取りを
検証する上で日誌は貴重な史料だ。
日誌は1日ごとの機器の始動や
停止時刻などが記載されている。
作戦決行を伝える暗号電
[ニイタカヤマノボレ1208]が
発令された12月2日、
攻撃当日の8日の記録もある。
8日は午前1時から18時間半稼働していた
依佐美送信所はもともと
国策会社の外交・通商用施設。
水中深くまで伝わる強力電波を
飛ばせたため、戦時は軍の打つ
モールス信号を中継した。
見つかった日誌は送信所が
稼働していた29~93年の一部。
送信所閉鎖後の2004年、所有者の
電気興業(東京)が刈谷市に寄贈した。
同様に寄贈を受けた発電機などは
市記念館に展示しているが
劣化しやすい紙の史料は
公開してこなかった。
防衛庁防衛研究所
(現防衛省防衛研究所)編さんの
[戦史叢書]には、
真珠湾攻撃での潜水艦向け無線送信は
依佐美送信所で実施したとの記載がある
潜水艦は一部を除き択捉島に集結した
主力部隊とは別に行動。
神奈川、広島、大分各県の
軍港から計数十隻が現地に向かい
主力が到着する前の見張りなどを
担当した。
[日本経済新聞12.5]
日米開戦の口火を切った真珠湾攻撃で
旧日本海軍が潜水艦に向けた軍事情報の
無線送信に使ったとされる
[依佐美送信所]の当時の稼働状況が
記された業務日誌が見つかった。
具体的な内容は分からないものの
攻撃2ヵ月前の1941年10月中旬から
ほぼ連日稼働し、事態が緊迫していく
様子が読み取れる。
共同通信が刈谷市に情報公開請求し
4日までに確認した。
真珠湾攻撃から8日(日本時間)で75年。
国家機密だった戦時の軍事通信に
関する情報はほとんど残っていない。
開戦に向かう旧日本軍の足取りを
検証する上で日誌は貴重な史料だ。
日誌は1日ごとの機器の始動や
停止時刻などが記載されている。
作戦決行を伝える暗号電
[ニイタカヤマノボレ1208]が
発令された12月2日、
攻撃当日の8日の記録もある。
8日は午前1時から18時間半稼働していた
依佐美送信所はもともと
国策会社の外交・通商用施設。
水中深くまで伝わる強力電波を
飛ばせたため、戦時は軍の打つ
モールス信号を中継した。
見つかった日誌は送信所が
稼働していた29~93年の一部。
送信所閉鎖後の2004年、所有者の
電気興業(東京)が刈谷市に寄贈した。
同様に寄贈を受けた発電機などは
市記念館に展示しているが
劣化しやすい紙の史料は
公開してこなかった。
防衛庁防衛研究所
(現防衛省防衛研究所)編さんの
[戦史叢書]には、
真珠湾攻撃での潜水艦向け無線送信は
依佐美送信所で実施したとの記載がある
潜水艦は一部を除き択捉島に集結した
主力部隊とは別に行動。
神奈川、広島、大分各県の
軍港から計数十隻が現地に向かい
主力が到着する前の見張りなどを
担当した。