吉田文雀さん死去
文楽人形遣い、
人間国宝88歳
(本名=塚本和男)
20日午後9時12分
心静止のため
亡くなりました。
告別式は24日午前11時30分
兵庫県西宮市城ヶ堀町1-40
公益社西宮山手会館
東京都出身。
1945年、文楽人形遣いの二代
吉田玉市預かりとなり、
同年初舞台。
50年、三代吉田文五郎門下となり、
文雀と改名しました。
深い解釈に基づいた渋味のある
堅実な芸風と、抑制のきいた演技には
定評があった。
老女形を得意としたが、
どんな役もこなし、[曽根崎心中]の
お初など若くて色気のある人形の
遣い手としても高く評価されました。
あらゆる浄瑠璃に精通し
[文楽の生き字引]
[文楽博士]ともいわれた。
役に従って人形の頭部の
首(かしら)を決める
[首割](かしらわり)を
半世紀にわたって担当。
今年3月、高齢を理由に現役を引退。
91年に紫綬褒章。
94年、重要無形文化財保持者
(人間国宝)に認定されました。
[坂田藤十郎氏の話]
吉田文雀さんと顔を合わせると
芝居の話ばかり。
芸の虫のような方だった。
親しくなったのは
戦後間もないころ。
大阪・千日前にあった
歌舞伎座に連日、通ってこられ
私の父、
二代目中村鴈治郎の舞台を一緒に
舞台袖から見ているうちに
顔馴染みになった。
文雀さんの芸名は、
私の父が考えた。
体調を悪くされているとは
お聞きしていましたが、
さびしゅうございます。
文楽人形遣い、
人間国宝88歳
(本名=塚本和男)
20日午後9時12分
心静止のため
亡くなりました。
告別式は24日午前11時30分
兵庫県西宮市城ヶ堀町1-40
公益社西宮山手会館
東京都出身。
1945年、文楽人形遣いの二代
吉田玉市預かりとなり、
同年初舞台。
50年、三代吉田文五郎門下となり、
文雀と改名しました。
深い解釈に基づいた渋味のある
堅実な芸風と、抑制のきいた演技には
定評があった。
老女形を得意としたが、
どんな役もこなし、[曽根崎心中]の
お初など若くて色気のある人形の
遣い手としても高く評価されました。
あらゆる浄瑠璃に精通し
[文楽の生き字引]
[文楽博士]ともいわれた。
役に従って人形の頭部の
首(かしら)を決める
[首割](かしらわり)を
半世紀にわたって担当。
今年3月、高齢を理由に現役を引退。
91年に紫綬褒章。
94年、重要無形文化財保持者
(人間国宝)に認定されました。
[坂田藤十郎氏の話]
吉田文雀さんと顔を合わせると
芝居の話ばかり。
芸の虫のような方だった。
親しくなったのは
戦後間もないころ。
大阪・千日前にあった
歌舞伎座に連日、通ってこられ
私の父、
二代目中村鴈治郎の舞台を一緒に
舞台袖から見ているうちに
顔馴染みになった。
文雀さんの芸名は、
私の父が考えた。
体調を悪くされているとは
お聞きしていましたが、
さびしゅうございます。