【読売新聞1月27日

『昭和名人伝』】←

庶民の日々、陽気な口調

登場人物の頭上に広がる

青空までもが

目に浮かぶような、

明るい高座が持ち味だった。

にぎやかな四天王寺の

縁日を描いた

『天王寺詣り』など、

三味線や太鼓などを

噺に挿入する『はめもの』

のある演目を得意とし、

陽気な笑顔とよく通る

高い声で、庶民の暮らしを

活写した。

『落語はメロディーが

なかったらあかん』

20歳の頃、

歌舞伎の囃子方・

梅屋勝之輔に鳴り物を習い

歌舞伎の下座音楽を

やった経験が、

リズム感のある落語に

生かされていました。

親交があった

落語作家の小佐田定雄(63)

『マクラに入る前の

〈ようこそのお運びで〉と

いうあいさつから、

サゲまでが一曲の音楽の

ようだった』と

振り返る。

◆1930年(昭和5年)

大阪市に生まれる

◇1947年(昭和22年)

大阪市職員として働いていた

日本舞踊に興味を持ち、

坂東流の舞踊家でもあった

四代目桂文枝に入門、

桂あやめを名乗る

◇入門5年目の51年、

結核を患い2年間療養生活

◆1954年(昭和29年)

三代目小文枝襲名

◆1982年(昭和57年)

米国ロサンゼルスで公演

◇1984年(昭和59年)

上方落語協会会長に就任

◆1989年(平成元年)

上方落語界で初の韓国公演

◆1992年(平成4年)

江戸末期から明治初期に

活躍し、

[上方落語中興の祖]と

呼ばれた初代から続く

大名跡

五代目文枝襲名

◇小柄だが、高座では

芸の力で自分を一回りも

二回りも大きく見せた。

◆1994年(平成6年)

米国シアトルで公演

◆1997年(平成9年)

紫綬褒章

◆2003年(平成15年)

旭日小綬章

◆2004年(平成16年)

創作落語『熊野詣』完成

◆2005年(平成17年)

3月12日、肺がんで死去。

74歳

[桂文枝]本名・長谷川多持。

四代目文枝に入門後、

五代目笑福亭松鶴の

預かり弟子になりました。

『船弁慶』『天神山』など、

後に得意ネタとした

落語の多くは、

この頃に松鶴から

教わりました。

大阪市中央区の

高津宮境内には、

文枝の功績をたたえる

石碑も建てられています。

[大阪文化部 中田敦之]←