最後の引き揚げ11年後

日本が受け入れた

ポツダム宣言では、

『日本軍隊は

完全武装解除後、

各自の家庭に復帰する』

と定めていた

だが、ソ連は

抑留者をなかなか帰還させず

引き揚げが

始まったのは

日本政府の求めに応じた

米国の圧力で

米ソ協定が

結ばれた46年11月。

ナホトカ、

南樺太・真岡、

北朝鮮・興南、元山、

中国・大連の

5港に送還収容所が

設置されました

ソ連の思惑から、

労働力にならない

病弱者や共産主義に

共鳴した抑留者が

優先されたとされる

『戦犯』として

長期刑を宣告された人は

残され、56年10月の

日ソ共同宣言まで

未帰還者が存在しました

第11次引き揚げで

最後の公式な引き揚げ船が

舞鶴港に

入港したのは

56年12月。

抑留は最長11年にも

及びました

【読売新聞8/23特別面】←