民間人抑留 解明に道

大連写真55点

【読売新聞8月22日】

-ソ連による抑留経緯-

◆1945年8月9日◆

ソ連が満州に侵攻

遼東半島南端部は

中国国民党政府から租借

◆8月22日◆

ソ連の軍使が大連に到着

即日、軍政を敷く

ソ連が日本兵らをシベリアの

強制収容所に移送、

一部は大連周辺の強制収容所へ

◆10月3日◆

ソ連軍が、旅順など関東州内の

在留日本人全員を退去させ

大連移住を命令

◆11月1日◆

中国人による大連市政府成立

1946年11月

日本人送還のため、大連港に

第14送還収容所を設置

◆12月~◆

米ソ協定に基づき、

大連港から

第1次引き上げ開始

47年3月までに

21万8147人が帰還

◆1948年7月◆

第2次引き上げで4933人帰還

◆1949年9、10月◆

第3次引き上げで2861人帰還

約1200人の技術者残留

◆1950年2月◆

ソ連が大連、旅順の

使用権を中国に返還する

条約に合意

55年に撤退

【送還収容所】

1946年11月以降、

ソ連軍参謀本部の指令で

設置された日本への

送還拠点

中国・大連のほか、

南樺太・真岡、

北朝鮮・興南などに開設

建物は日本軍時代の

捕虜収容所や学校などが

転用されました

日本人捕虜や民間人が

収容されたが、

衛生環境は劣悪で、

多くの死者が出ました