絆の物語、心の支えに



先生は[できませんよ!もし、できたとしても

健太は誰が育てるの!今、お母さんがやらなきゃ

いけないことは、人より多く話しかけることだよ

]と叱咤激励しました。穏やかで優しい口調の

先生なので、僕には想像できないが、本当の

優しさとはこういうものだと思いました。

先生の一撃で母は殻を突き破り、

悲しみの生まれた場所は戦いの場へと

変わりました。母はこの二つの言葉をお守りに

「健太を絶対に自立させ、社会に出られるまで

頑張ろう」と決意したそうだ。

そして、僕にも道標となる言葉がある。

それは、祖母が繰返し贈ってくれた。

「健ちゃんにしかできないことが絶対あるから

自分を信じて頑張ってね。お金で買えないものを

大切にしていれば、きっと幸せになれるよ」

という言葉だった。僕が夢に向かって頑張れて

いる時は加速するパワーになり、また、

自分が決めた道を忘れそうになった時は

何度も立ち上がる原動力となりました。

その後、祖母は亡くなり十年になるが、

僕の胸に刻まれた言葉は、今も優しく語り

かけ生きている。

僕は十九歳になり、自分の歩んできた路を

顧みた。悔しさを抑えきれず全て母に

ぶつけました。

[どうして自分だけが!僕の気持ちなんか誰にも

分からない!]口にしても仕方ないことが、

いつも頭の中で暴れた。

でも、僕は人の中にいるのが大好きだった。

それで、小学・中学校はエレベーターのある

普通校に通い、皆と同じ教室で勉強しました。

僕にとって激動の日々だった。悔しいことも

山ほどあったが、感動と感謝の九年間だった

だから僕は、両手・両足の手術を決意した

幼児期から担当医のK先生は、

僕を認め主張もきちんと聞いてくれる

この時も僕の意思を尊重し手術をしてくれた

術後のリハビリは痛みを伴ったが乗り切った。

リハビリのS先生は、僕が何を話しても穏やかに

聞いてくれる、薬箱のような存在だ。

母も二人の先生を信頼し、日々の訓練や

先の見通しを立て相談している。

僕達にとってベストパートナーなのだ。

最後に、僕と母の命を救ってくれた方々に

心から感謝したい。

たとえ障害と闘う毎日であっても、

生きているから、人と出逢い優しさに触れ

貴重な経験ができるのだ。

僕はまだ、全ての自立はできていないけれど

社会に役立つ活動をしていこうと考えている。

障害を抱えた僕だからこそ、

できることがあると思うから。

そして、その一歩が一人でも多くの人の

笑顔を呼び、連鎖し、新たな一歩に繋がると

信じたい。輝いて生きるために!!

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