第32回
心に残る医療
体験コンクール[入賞者作品発表]
厚生労働大臣賞
【輝いて生きるために】保田健太さん(19)
神奈川
医療の発展に伴い、多くの命が救われることは
素晴らしいことだ。だが、重い障害を抱え
難局を乗り切れず、一生苦しむ現実があるのも
確かだ。それは、到底言葉では言い表せない
壮絶な戦いである。だから、関わり合う人達の
理解や支え、何より心ある言動が不可欠で
あり、それがエネルギーとなる。
僕は[脳性麻痺による四肢体幹機能障害1級]
という障害を抱え生きています。
生まれた時、[一生話すことも自分で何かするこ
ともできなたい]と言われました。
自然に呼吸すること、食べ物を噛んで飲み込むこと
見ることなど、とにかく全身の筋肉が思うように
動かない。簡単に言うと、人間が成長と共に
自然には今年できるようになる全ての動作が
できないということだ。
だけど僕も母も諦めずに、一つひとつ訓練し
生活動作を獲得していく道を選んだ。
それは、真っ暗な海を泳いで渡るような
感覚だ。更に、不安や苛立ち、悔しさなどが
波のように押し寄せてくる。
でも、そんな僕達の涙は[誇れる笑顔]に
変わり、何度も前を向けました。
その度に少しずつ強くなれた。
僕の訓練は生後すぐに始められ、現在も
毎日継続しています。まず、母は身体の仕組みや
機能を勉強し、脳の本をたくさん読みました。
その上で、医師や訓練の先生にアドバイスを受け
日常生活の中で訓練し定期的に指導を受けた。
また、訓練の道具は高額なので色々自分で
作っていた。野外訓練や遊びに取り入れたりして
なるべく楽しく工夫はしてくれていたが
三六五日の訓練は僕と母との戦いだった。
母をここまで奮い立たせる根底には、
生涯決して忘れられない言葉が二つあるという。
一つ目は病名を告知された後、祖母が言った
言葉だ。母は「脳性麻痺」という病名に震え
声も出せずに泣いていた。祖母は
僕を抱き、「健ちゃんのママは弱虫だね
お婆ちゃんがママだったら、お医者さんに
百%無理って言われても絶対に諦めないけどね」と
言った。負けず嫌いの母は今でもハッキリと
覚えていて、挫けそうになると無意識のうちに
頭に浮かぶという。
二つ目はS先生からの言葉だ。
最悪の状態から早く脱出しなければと考えた
母は
「私の脳を健太に移植してください!海外なら
できるのではないですが?」と号泣しました。
心に残る医療
体験コンクール[入賞者作品発表]
厚生労働大臣賞
【輝いて生きるために】保田健太さん(19)
神奈川
医療の発展に伴い、多くの命が救われることは
素晴らしいことだ。だが、重い障害を抱え
難局を乗り切れず、一生苦しむ現実があるのも
確かだ。それは、到底言葉では言い表せない
壮絶な戦いである。だから、関わり合う人達の
理解や支え、何より心ある言動が不可欠で
あり、それがエネルギーとなる。
僕は[脳性麻痺による四肢体幹機能障害1級]
という障害を抱え生きています。
生まれた時、[一生話すことも自分で何かするこ
ともできなたい]と言われました。
自然に呼吸すること、食べ物を噛んで飲み込むこと
見ることなど、とにかく全身の筋肉が思うように
動かない。簡単に言うと、人間が成長と共に
自然には今年できるようになる全ての動作が
できないということだ。
だけど僕も母も諦めずに、一つひとつ訓練し
生活動作を獲得していく道を選んだ。
それは、真っ暗な海を泳いで渡るような
感覚だ。更に、不安や苛立ち、悔しさなどが
波のように押し寄せてくる。
でも、そんな僕達の涙は[誇れる笑顔]に
変わり、何度も前を向けました。
その度に少しずつ強くなれた。
僕の訓練は生後すぐに始められ、現在も
毎日継続しています。まず、母は身体の仕組みや
機能を勉強し、脳の本をたくさん読みました。
その上で、医師や訓練の先生にアドバイスを受け
日常生活の中で訓練し定期的に指導を受けた。
また、訓練の道具は高額なので色々自分で
作っていた。野外訓練や遊びに取り入れたりして
なるべく楽しく工夫はしてくれていたが
三六五日の訓練は僕と母との戦いだった。
母をここまで奮い立たせる根底には、
生涯決して忘れられない言葉が二つあるという。
一つ目は病名を告知された後、祖母が言った
言葉だ。母は「脳性麻痺」という病名に震え
声も出せずに泣いていた。祖母は
僕を抱き、「健ちゃんのママは弱虫だね
お婆ちゃんがママだったら、お医者さんに
百%無理って言われても絶対に諦めないけどね」と
言った。負けず嫌いの母は今でもハッキリと
覚えていて、挫けそうになると無意識のうちに
頭に浮かぶという。
二つ目はS先生からの言葉だ。
最悪の状態から早く脱出しなければと考えた
母は
「私の脳を健太に移植してください!海外なら
できるのではないですが?」と号泣しました。