襷のメモリー


箱根駅伝90回


歴史


1970年代に3度本大会出場を逃した


早稲田大学の復活は、中村清というカリスマ監督が


もたらしました。36年ベルリン五輪1500m代表の


中村は、元憲兵隊長。


戦後の箱根復活後に


早大コーチに就任し、闇市で稼いだ金で


大学を問わず集まった学生に食事をさせ、


52年、早大を18年ぶりの優勝に導き、


54年にも優勝した伝説的指導者だった。


64年東京五輪前には実業団の東急で指導に当たり、


男子1万mの船井照夫など多数の選手を


五輪代表に送り出しました。


地元五輪で教え子たちは完敗。


スパルタ的な指導法が時代遅れとされ、


東京五輪後に東急監督を辞めていました。


それから、約10年は中村の自著によると、


「充電というか忍従の歳月を送った」


早大監督に就任したのは、


現DeNA総監督の瀬古利彦が入学した76年。


聖書や内村鑑三などを引用した長い説話は


語り草で、自分を殴ったり、草を食べたり、


選手のやる気を出すための「奇行」でも


有名だった。


一方、「練習方法の研究も決して欠かさなかった」


(瀬古総監督)


ニュージーランドの指導者アーサー・リディアードの


練習方法を中心に、当時急成長した


宗茂、猛兄弟の練習にもアンテナを張りました。


その結果、瀬古を学生時代に福岡国際マラソンで


2度優勝させるなど、早大を着実に再生。


瀬古が在学中の箱根駅伝優勝はならなかったが、


84年、現中国電力監督の坂口泰やマラソン解説で


おなじみの金哲彦を擁したチームで、


30年ぶり 10度目の優勝を果たしました。