和平停滞 嘆きの西岸


オスロ合意20年 


パレスチナ住民「自分の国 夢見たのにー」


イスラエルとパレスチナが和平の道を模索した


1993年のオスロ合意から20年を迎えました。


交渉が停滞する中、イスラエルの占領下にある村では


ユダヤ人の入植を巡る対立が続き、和平の兆しが 


見えない。


ヨルダン川西岸の都市ベツレヘム南東部にある


ベイト・タマル村。死海を望む丘陵地帯に


オリーブ畑が広がる。しかし、丘陵に入ろうとすると、


イスラエルが張り巡らせた有刺鉄線が行く手を阻んだ。


「あの辺は先祖代々の畑だが、誰も近づけない。


オスロ合意で、もうすぐ自分の国を持ち、


占領から解放されて自由な暮らしが出来ると


夢見ていたのに・・・・」とファレス・ワシュ村長は嘆いた。


ヨルダン川西岸は、67年の第3次中東戦争で


イスラエルが占領。


同村でも80年代に東部や南部でユダヤ人の


入植地の建設が始まった。


オスロ合意後、パレスチナ自治政府が同村の


行政と治安の権限を持つようになったものの、


水資源の半分以上が入植地に回されるなど、


村人の生活の急所はイスラエルが押さえる。


同村は西岸一帯でパレスチナが置かれている


現状を象徴する存在といえる。


和平交渉が停滞する一方、イスラエルは入植地を


拡大しています。


同国の民間団体「ピースナウ」によると、


西岸地区の入植者はオスロ合意時の93年に約11万人だったが、


2012年に34万人と3倍以上に増加しました。


【オスロ合意】


ヨルダン川西岸とガザ地区でのパレスチナ暫定自治に


関する合意。ノルウェーのオスロでの秘密交渉の末、


イスラエルとパレスチナ解放機構(PLO)1993年 9月、


米国の仲介でワシントンで調印しました。


5年間の暫定自治機関を経て、聖地エルサレムの帰属や


ユダヤ人の入植地などを協議する最終地位交渉を


進めるとしていました。