黒部 誇りと自責の50年
映画モデルの男性語る
171人犠牲
「喜びの何倍も苦しみ」
戦後の電力不足と高度経済成長の時代を支えた
黒部ダム(富山県立山町)が
6月で完成50年を迎えました。
落盤や転落で171人もの作業員が犠牲になった
現場で指揮を執った笹島建設会長の笹島信義さん(95)は、
「世紀の難工事」を成し遂げた喜びと犠牲者に対する
自責の念を、今も抱えている。
熊谷組笹島班の班長として、冨山・長野県境の北アルプスを
貫く資材運搬用トンネルの掘削工事に挑み、
映画「黒部の太陽」で石原裕次郎さんが演じる
主人公のモデルとなりました。
ダムは完成後、観光用に開放され、立山黒部アルペンルートの
一部として年間90人前後が訪れる。
だが、北アルプスの高地を切り開く工事は過酷さを
極めた。笹島さんらの担当工区でも、掘削の途中で大量の
水が何度も噴き出し、土砂が崩れました。
崩落におびえながら、手作業で土砂をかき出した。
「一生で一番危険な仕事。命がけだった」
担当工区では、23人の仲間が亡くなった。
青森県出身の作業員の母親には
「(行って来るよ)と出て行った、あの姿で
帰ってきてくれさえすれば、お金は一銭もいらない」と
泣かれた。
「思い出したいけれど、思い出したくない。喜びの
何倍という苦しみがあったから」
映画化には当初反対だったが、「止められないなら、
本物の仕事はこうやったんだと
きちんと伝えたい」と思い、撮影に協力したという。
撮影現場に何度も足を運び、裕次郎さんと寝食を共にし
「裕ちゃん」と呼んだ。
「一緒に酒を飲み、(唄え)ってマイクを渡すと逃げ出した」と
懐かしむ。通算で100を超えるトンネルを手がけたが、
「黒部と比べたら何ともない。今は金をなんぼやると言っても
あんな仕事やってくれる人はいない。やらせられない。」
黒部ダムでは今年も、6月5日に慰霊祭が行われました。
「行ってみたいけれど、行ったことはないし、行きたくない」
作業員の母親の顔が目に浮かぶから。
東京都港区の同社会長室には、
茶色に変色した書類の束を大切に保管している。
トンネル工事の作業員4681人の名簿だ。
「棺桶に入れてくれ」と部下に頼んでいるという。
【黒部ダム】
戦後の電力不足解消を目的に関西電力が1956年から
7年間にわたり、約513億円をかけて建設。
延べ1000万人が工事にかかわった。ダムの高さは186mで
日本一。最大出力は 33万5000キロ・ワットで関西方面に
供給されています。