本願寺分派へ信長との戦


豊臣秀吉の前半生を描く特別企画


「羽柴秀吉 天下統一への足跡」の第4回テーマ展


長浜城歴博でテーマ展


顕如と教如ゆかりの品68点


「顕如・教如と一向一揆 信長・秀吉・本願寺」が、


長浜市公園町の長浜城歴史博物館で開かれています。


織田信長と11年にわたり戦った浄土真宗(一向宗)


本願寺第世の顕如と、長男で真宗大谷派本山の東本願寺を


創建した教如を特集しています。


湖北での足跡や、東、西本願寺に分かれる背景となった


親子の食い違いがわかる資料68点を展示しています。


10月7日まで。


顕如(1543-92)は、信長と大阪(大阪)の石山本願寺が


戦った最大の一向一揆・石山合戦(1570-80)を主導しました。


最後は信長と和睦し、石山本願寺を退去しました。


これに対し教如(1558-1614)は、徹底抗戦を主張し、数ヶ月籠城。


秀吉に仕えた石田三成は顕如を、徳川家康は教如をそれぞれ支持。


その後、関ヶ原の戦い(1600年)で両者が争い、


1602年の本願寺の東西分派につながりました。


湖北では約700か寺のうち約8割を浄土真宗が占め、


石山合戦に参加した寺院・門徒も多かった。


特に教如率いる真宗大谷派の信仰の拠点の一つとなったことから


ゆかりの品々を集めて展示する。


石山合戦を描いた数少ない絵図「石山合戦絵伝」


(1852年、大阪城天守閣蔵)は、信長の陣所が水攻めにされた


場面や、伊勢国で門徒たちが信長軍に夜討ちをかけた場面などが


5段に分けて描かれています。


「湖北十ヶ寺連判状」(1580年、長浜市・福勝寺蔵)には、


湖北の僧らが結束を固める一方で、花押(サイン)が


有るか無いかで、顕如と教如のどちらを支持しているかの


違いが見られる。


「顕如上人消息」(1580年、大阪府藤井寺市・誓願寺蔵)では、


顕如が、石山本願寺に籠城した教如派を批判したとみられる


記述があります。


石山合戦での籠城継続から一転、


教如が湖北に逃れたとされる足跡を記した


「教如上人近江略記」(江戸時代後期、長浜市・法寺蔵)は


地元に及ぼした信仰の大きさを物語る資料として貴重だという。


午前9時-午後5時(入館は午後4時半まで)


会期中無休。


高校生以上400円、小中学生200円。


長浜、米原両市の小中学生は無料。


お問い合わせは同館


(0749-63-4611)