オダサクの草稿 新たに3種確認
「夫婦善哉」
大阪庶民の哀歌を描いた
無頼派の作家・織田作之助(1913-47)の
代表作「夫婦善哉」冒頭部分の草稿などが、
生誕100年を前に新たに見つかった。
何度も練り直した跡があり、
「実質的な文壇デビュー作の創作過程を示す、
貴重な資料」という。
姪で養女となった織田禎子さん(千葉県船橋市)が
保管。
大阪歴史博物館(大阪市中央区)で25日始まる
特別展「織田作之助と大大阪」のため、
借り受けた遺品の中から確認されました。
「夫婦善哉」は1940年の作品。
甲斐性なしの若旦那・柳吉と駆け落ちした
人気芸者が蝶子が、苦労を重ね夫を支える物語で、
法善寺境内のぜんざい屋など、戦前の
大阪・ミナミの風俗が生き生きと描き込まれています。
2番目の姉、千代がモデルとされる。
見つかった草稿は3種類で、
最も古いと思われる鉛筆書きの原稿(9枚)では、
主人公名は春枝と兵吉。
書き出しは
「辛い勤めも皆親のためといふ意味の俗句があるが、
春枝の場合、あてはまらぬ。」となっている。
ほかの2種類(3枚、6枚)ではいずれも
「蝶子は亭主の柳吉を折檻すると・・・・」
書き出しており、決定稿の冒頭、
「年中借金取りが出はひりした。
節季はむろんまるで毎日のことで・・・・・」に
至るまでの推こうの跡がうかがえます。
ほかにも自筆原稿や日記などの新出資料があり、
調査にあたった
増田周子・関西大学教授(日本近代文学)は
「同時代の太宰治や坂口安吾と比べ、
遅れている織田作之助研究に弾みがつく発見」と
話しています。
【織田作之助】
大阪市南区生玉前町(現・天王寺区)の
長屋で育ち、10代で両親を亡くす。
京都の旧制三高を中退後、
25歳で小説を書き始め、1940年「俗臭」で
芥川賞候補になる。戦中戦後の混乱を描いた
「世相」で一躍、流行作家になるが47年、
33歳で肺結核のため死去。
絶筆「土曜夫人」は讀賣新聞連載