豊臣秀吉が築城し、


徳川家康が再建した伏見城跡(京都市伏見区)の


現地調査が進んでいる。


巨大な土橋や創建当時のものとみられる石垣などの


規模や材質が確認された。


明治天皇・皇后陵があり、


かつては踏み込めなかった城跡の詳細が、


次第に明らかになってきた。


伏見城跡がある桃山陵墓地(約80万平方メートル)は、


宮内庁の管理する陵墓地で最大。


以前は立ち入りが規制されていたため解明が進んでいなかったが、


伏見城の全容が判明すれば高い築城技術などを知る貴重な史料となると


みられる。宮内庁は2008年2月、


歴代天皇や皇族を埋葬したとされる陵墓への学術目的の調査を初めて許可。


09年2月、桃山陵墓地の陵墓周辺を研究者団体に公開したが、


同庁職員の案内で城跡の様子を


研究者が目にしたのは数時間だけだった。


大阪歴史学会はさらに詳しい調査ができるよう同庁に申請。


11月から年に1度、数日間の調査を重ねている。


同学会と共同で調査にあたる滋賀県立大学の中井均教授(57)によると


本丸と二の丸を結ぶ土橋(長さ約40メートル、幅約5メートル)


幅約4-メートルの堀、天守の土台(1辺十数メートル、高さ約5メートル)が


確認された。


数種類の自然石を積み上げた石垣(高さ約7メートル、幅約20メートル)は


秀吉の築城当時にできたとみられる。


徳川期に花こう岩だけで組まれたとみられる石垣もあった。


中井教授は「複数の研究者が同時に現地を調べることで


城の構造を客観的に記述できるようになる。


段階的にでも一般向けに公開すべきだ」と訴える


一方、京都府教育委員会の文化財保護課も


昨年2月と今年2月の2回、


それぞれ5日間かけて測量などを実施。


今後、城の概略を示す「縄張り図」を作る。


同図はどの城でも共通の洋式で作製され、城郭研究の際の


最も基礎的な資料になる。


完成すれば、ほかの城との比較がしやすくなり、


府教委は来年3月をめどにまとめる方針。


途中段階の図は、同課のホームページ


http://www.kyoto-be.ne.jp/bunkazai/ ←HP



【伏見城】


豊臣秀吉が1592年から京都・伏見に築き始めた。


4年後の大地震で倒壊。北東の木幡山に再建され、


秀吉はこの城で没した。99年に秀吉の子供・秀頼が


大阪城へ移り、代わって徳川家康が入城した。


1600年には関ヶ原の戦いの前哨「伏見城の戦い」で


焼失したが、家康が再建した。家康、秀忠、家光が


将軍宣下を受けた。23年に廃城となり、


石垣の多くは大阪城、やぐらは


福山城(現・広島県福山市)などに移築されました。


1912年に明治天皇が埋葬され、一帯が陵墓地となった。