涅槃像なでて元気♪
西国三十三所観音霊場・穴太寺
(京都府亀岡市)
なだらかな山々に囲まれた小さな盆地に田園が広がり、
済んだ水が水路を流れる。
立派な門構えや土蔵を備えた古い民家が目立ち、
中には茅葺き屋根の家もある。
京都府亀岡市の郊外、曽我部町の風景はいたってのどかだ。
集落の中心には西国三十三所観音霊場の
第21番札所、穴太寺があり、今も巡礼者が絶えない。
付近は江戸時代中期の画家、円山応拳の生誕地と言われ、
ゆかりの品々を伝える寺社もある。
新緑が目に鮮やかな里をひがな歩いた。
(朝日新聞=池田洋一郎)
本堂の脇壇に「なで仏」と呼ばれる木造の釈迦涅槃像がある。
体の右側を下に横になり、布団がかけられている。
「お参りに来られていた大阪に住むおばあさんが横になった姿の
お釈迦様を夢に見て、どこにあるかと寺に尋ねたところ、どこにもない。
そこで探してみると明治29(1896)年に
本堂の屋根裏から見つかったのです」と穴穂行仁住職(41)
おばあさんが肌着で涅槃像をさすり、病気だった孫娘に着せると
快癒したという。以来、涅槃像をなでると病気が治せるとの信仰が
広まった。布団をはいでみると、肩やひざ、顔などがツルツルで
黒光りしている。
元々、705年創建の同寺は、聖観世音菩薩立像を本尊に
観音霊場として信仰を集めてきた。
「今昔物語集」にも登場する「身代わり観音」の話が有名だ。
平安時代、丹波の郡司・宇治宮成が京都の仏師に
観音像を造らせ、褒美に馬を与えたものの惜しくなり、仏師を
弓で射た。しかし、矢は身代わりとなった観音像の胸にささり、
仏師は無事だった。
宮成は改心して仏道に帰依したという。
寺の納札所には文化、文政、天保など江戸時代の年号が
記された札が、身代わり観音に参拝した証しに多数打ち付けられている。
穴穂副住職は
「最近は若い人のお参りが増えています。特に涅槃像が
お目当てのようです。じかになでることで癒されているのでしょう」と言う。
寺の数十メートル東には、円山応拳の生誕地を示す石碑が立つ。
北西には応拳とその子応瑞が描いた
「神馬図絵馬」が残る小幡神社がある。
そのすぐ近くには、幼少時の応拳が小僧として過ごし、
晩年に障壁画を寄進した「応拳寺」とも呼ばれる金剛寺がある。
(朝日新聞 第2滋賀 28 2013/5/21(火))