東寺(教王護国寺)・講堂


(京都市南区九条町) 探訪古き仏たち


梵天


弘法大師、インドへの憧れ


東寺・講堂の梵天座像は4面4ひ、つまり顔が4つ、


手が4本あり、蓮華上に坐し、4羽のがちょうに乗っている。


私が奈良でよく見る梵天は1面2ひ、つまり人と同じ姿で


唐服をまとい、本尊の傍らに立っている。


あまりにも違うのが不思議でならなかった。


講堂を造営したのは弘法大師空海。


真言密教の根本道場にしようと唐から持ち帰った図像をもとに


五仏、五大明王など密教の尊像21体を造像した。


梵天は、立体曼陀羅とされるその群像の東端にある。


像高101㌢。彫りの深い異国風の顔立ちや、左肩から斜めに


帯状の布をまとうだけの豊満な上半身は、


官能的なインドの彫刻を連想させる。


梵天はインドのヒンドゥー教で創造の神とされるブラフマンを


仏教が取り入れて、護法神としたもの。


インドではブラフマン像を4面4ひに造る。


インドの神々は特定の動物を乗り物にしていて、


ブラフマンの乗り物は白いがちょうという。


こうしてみると、講堂の梵天はブラフマン本来の


特徴を備え、唐服の梵天以上にインド的である。唐服の梵天は


いわば中国化した梵天で、密教の梵天はインドと


直接つながっているともいえよう。


密教はインドで興り、8世紀に中国・唐に伝わった。


9世紀初め、遣唐使として入唐した空海は長安(現西安)で


中国僧恵果から密教の秘法を授かり、日本に伝えた。


講堂の梵天がインド的なのは、もとになった図像がインドの密教を


積極的に受容した唐で作られたからだろう。


空海は彫刻にする時も、仏師を指導してインド的な雰囲気を出そうと


努めたのに違いない。空海はインドにあこがれていたと


私は想像する。


講堂の密教像21体のうち梵天など当初からの15体は


ヒノキの一木造りで、漆に麦粉や木粉を混ぜて作る乾漆(木くそ漆)を


併用している。乾漆盛り上げの技法は細部の造形を豊に表現できる。


造像したのは奈良の仏師だったようだ。


謎めいて見える講堂の密教像だが、そこには当時の国際的に


最先端の仏教思想が表され、


同時に中国から伝わって奈良時代に花開いた


乾漆の技法が使われていた。 (フリーライター・沖真治)


【素描・案内】

*国宝。839年開眼

*対になる帝釈天は群像の西端で象に乗る

*宝物館など春季特別公開が25日まで開催中