大悲菩薩覚盛上人


唐招提寺・中興堂


探訪 古き仏たち/


(奈良市五条町)


戒律復興の祖、命日には華やぎ


唐招提寺の中興・覚盛上人(1194-1249)は、


鑑真和上が唐から伝えた戒律を、鎌倉時代に復興した


律僧として知られる。


この肖像は戒律堅固の上人らしい威容を


遷化の百数十年後によみがえらせた木彫像である。


あごの張った角顔に厚い唇、長く垂れた眉に見開いたつり目・・・


なで肩の重厚な体格は武家が台頭した中世に


ふさわしい姿といえよう。


覚盛が尊崇した鑑真の乾漆像(国宝)の静穏さに比べると


対照的な風貌で、一説には百年以上前に造られた奈良西大寺の


興正菩薩叡尊像(重文)に倣った祖師像ともいわれる。


像内墨書には1395(応永2)年に唐招提寺大仏師の肩書を持つ


奈良仏師成慶が造ったとある。


「康慶法眼之流南都興福寺住」と成慶が


興福寺在住の慶派系仏師だったことも記されている。


覚盛は初め興福寺に入り、十代後半に解脱房貞慶から


律学などを学んだ。


やがて南都四律匠と称されるようになり、


後年は戒律の本拠・唐招提寺に定住した。


門下からは東大寺戒壇院の円照や唐招提寺の証玄、


生駒山の竹林寺の良遍ら俊秀が輩出。


南都教学の再興で叡尊や忍性らと志をともにした。


入滅の約80年後に大悲菩薩の称号を賜った。


名高い足跡は自誓受戒。


正式な僧の比丘は、出家者の守るべき生活規範「戒」を


三師七証と呼ばれる師僧・律僧によって授からねばならない。


だが、鎌倉前期には三師七証の適格者がいなかった。


そこで覚盛や叡尊ら南都の僧4人は1236年に


東大寺法華堂で自誓による師僧不在の受戒式を断行。


この英断は賛否の大反響を呼ぶとともに


南都の再生活動を加速させる推進エンジンにもなった。


唐招提寺は毎年5月19日の


覚盛の命日に中興忌梵網会を営む。


午後には境内の鼓楼(国宝)から


特製の宝扇を投げ配る団扇撒き行事もある。


宝扇は奈良法華寺の尼僧が蚊に刺されても払わなかった


上人を追慕して供えたというハート形の飾りうちわ。


この行事は、戒律の根本寺院である


律宗総本山唐招提寺にひとときの華やぎをもたらす。


当日は上人像も開扉される。


(フリー記者 岸根一正)


【素描・案内】


*重要文化財 秘仏

*高さ87センチの彩色坐像

*ヒノキ寄せ木、玉眼

*中興忌には抽選で宝扇の手渡し授与もある