縄文・弥生文化の出会い
「国内最大級」の銅鐸 祭りの道具説
国内最大級の銅鐸といわれる、
大阪府茨木市の「東奈良遺跡」で
出土した小銅鐸(弥生時代前期)。
その文様が縄文系土器の文様と一致することから、
「謎の青銅器」とされる銅鐸は縄文、
弥生の両文化の出あいを象徴する、
祭りの道具だったのではないかー。
そんな説を、設楽博巳氏・東京大学教授(考古学)が発表した。
銅鐸は1999年に見つかった。高さ14.5cmで、
銅鐸のつり手部分によくある文様や両側の帯状部分がなく、
未発達の段階とみられている。
正面中央に鋳造時に残る「型持ち」と呼ばれる穴が残り、
源流とされる朝鮮式銅鈴とよく似ている一方、
銅鈴にない文様が施されるなど日本的な特徴もある。
長年鳴らして使ったらしい内側のすり減り具合や
出土の状況などから弥生前期に作られたとの見方が強い。
銅鐸研究で知られる故・佐原真氏らは
「日本的な銅鐸の起源」や
「銅鐸の元の形(祖型)」の可能性があると指摘した。
設楽氏は、銅鐸を詳しく調べて七つの楕円形の文様に注目。
その元は東北地方の縄文晩期の土器に刻まれた
円形に近い渦文と推定。
これが西に伝えられ、石川県小松市の八日市地方遺跡など、
縄文晩期から弥生前期の土器に刻まれた文様になり、
約2500年前に東奈良遺跡の銅鐸の文様にも使われた、と考えた。
設楽さんはこの説を発表後、
大阪府高槻市立今城塚古代歴史館長の
森田克行氏と討論した。
森田氏は「銅鐸の波状文は大阪北部の弥生前期の
土器にみられる特徴的な文様で、
ここが銅鐸のルーツ」と提唱している。
討論の結果、2人は「縄文・弥生人がこの地で共存し、
両方の文化を採り入れて共生の祭祀のシンボルとして銅鐸が生まれた」
との見解でほぼ一致した。
銅鐸はやがて大型化し、
狩猟や脱穀、倉庫、戦いなどの絵が描かれたため、
弥生時代の共同体の祭りに使われたとみる人が多い。
新設は銅鐸の起源や用途など、
謎の解明の手がかりとして注目されそうだ。
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