[奈良には古き仏たち]より


執金剛神 東大寺・法華堂


時を越える怒号、仏法を守る


すさまじい怒りの形相、華麗な色彩と文様ー


これが1300年前の仏像と思えるだろうか。


天平仏の宝庫、東大寺法華堂の中でも執金剛神立像は


秘仏として格別に大切にされてきた。


損傷や補習された箇所は少なく、造像時に近い状態を保っている。


執金剛神は須弥壇北側に置かれた厨子に北を向いて安置されている。


厨子が開くのは年1回、東大寺の初代別当、


良弁僧正(689-773)の命日の12月16日だけだ。


塑像で、像高170㎝。甲に身を固め、右手は武器形の法具、


長さ78㎝の金剛杵を振り上げ、


左手は血管が浮き上がるほど力をこめて拳を握る。


目をかっと見開き、歯をむき出して怒号し、


今にも金剛杵を振り下ろす勢いだ。


唇や口の中の朱色、甲の金箔、袖に施された朱色や


緑青など彩色が鮮やかに残る。宝相華文など華麗な文様も見え、


極彩色の当初の姿をしのばせる。


執金剛神は金剛杵を執って仏法を守る善神。


外敵の侵入を防ぎ、打ち砕く。この像はわが国最古の仏教説話集


『日本霊異記』(9世紀初め)に登場する。


「東大寺ができる前、奈良の東山の山寺に金鷲優婆塞という行者が住み、


執金剛神の塑像の脚に縄を結んで引き、日夜、礼仏悔過していた。


脚から光が放たれ、宮殿に達した。聖武天皇に召され、


『出家して仏法を学びたい』と願うと許された」とある。


説話とはいえ、執金剛神が東大寺草創にかかわる


重要な仏像であることがうかがえる。


説話では単独像だが最近の研究では、この像は


日光、月光両菩薩、戒壇堂の四天王の塑像とワンセットで、


法華堂の本尊・不空けん索観音の護法神だったとみられている。


単独像から群像に加わったのか、最初から群像の1体だったのか、


新たな謎が生まれた。札仏悔過の悔過とは、罪を仏に告白して


許しを求めること。仏に願いをかなえてもらうためでもあり、


奈良時代は悔過法要が盛んに行われた。


法華堂の悔過では、僧たちは何を祈願したのだろうか。


執金剛神の激しい怒りを見れば、


謀反人の調伏を願ったかもしれない。


煩悩を打ち砕いてほしいという純真な祈りだったかもしれない。


(ASAHI 沖真治)


【素描・案内】


*国宝


*当初は厨子がなく須弥壇に置かれたらしい


*執金剛神の発展した形が金剛力士(仁王)