2024.春
少し前になるけど、愛知県岡崎市(旧額田町)にある久保城址を攻めて来たョルンルン

この城は、奥平家の将来を二分する密談が行われた城址なんです…それは、長篠の戦いの始まる少し前に奥平一族、老臣たちがこの城に集まり、武田家につくか、徳川家につくかと話し合いをし、将来的な事も含めて二分する事に決め、周辺の人たちからは『久保城の密談』と呼ばれています…。グッ

現在では、宮崎小学校から川を挟んで見える山全体が城址になり、城の敷地一部は地元企業の敷地になっています…。チーンガーン

宮崎小学校近くにある看板

宮崎小学校周辺の様子(城址へはカーブミラーの場所から侵入して行きます)

真っ直ぐ進んで分かれ道まで進みます…(これを左手に進む)

これは右側の景色…

この景色へ進みます…

山へ侵入…

川(橋)を渡り…

アスファルト道からの分かれ道の様子…(この道は進まない)

こちらがアスファルト道(坂道になります)

来た道を振り返ると…

山へ続く道との境目に車を置いて、(一応、駐車場はありますが、企業様の敷地だと思われるので…)徒歩で…

坂を下り最初に目に映る景色…

アスファルトをそのまま降りて行くと…企業様の門になりますが、これも立派な城址の一部です…(簡単な配置図では二の曲輪かと思われる)

企業様の門まで降りました…(この場所は二の曲輪跡?と思われる場所になります)


その企業様の門の辺りから上を見上げれば本曲輪と思われる場所が見えます…びっくり

本曲輪だと思われる場所を見上げる…

なぜ、本曲輪だと思うだとか二の曲輪だと思うなどハッキリしないかといえば、縄張り図さえ無いし、簡単な配置図くらいしかなくて、しかも何も記載されていないからなんです…ガーン


このような図しか無くて…

たぶん、予想で申し訳ないですが、この図からすると、虎口が上下2つある曲輪が本曲輪かな?と、自身の現地調査からしてそう思われます…。グッ


ちなみに、図にある虎口は実在しましたが、藪だらけで画像で判断出来ませんでした…??

上)本曲輪へ 下)二の曲輪へ

石垣は当時からのものか?

本曲輪の様子。

本曲輪にある櫓は、聞いた話では、今の地主で歴史好きな大工さん?が、造ったものだそうです。びっくり


もう一段高い場所は物見の場所なのか?そんな場所じゃないかな?と思ったりしました…(なんせ、何も情報が見つからないので…)

一段高い場所は何?

考えによっては、この一段高い場所が本曲輪じゃないのか?とも考えられますが…とりあえず、あくまでもこの場では仮想ですみません…🙇🏻

本曲輪跡(と思われる場所)から見下ろした二の曲輪(と思われる場所)

本曲輪と思われる場所

本曲輪(と思われる)の櫓にあった説明看板…


二の曲輪(と思われる場所)から下の曲輪を見下ろしたりしました…この曲輪は三の曲輪になるのか…?更にその下には細い道(たぶん旧道だと思われる)と、川が、図の通りに存在しました…OK

図にもある三の曲輪?と思われる場所の様子…。

二の曲輪から眺めた手前の帯曲輪?(と思われる場所)と本曲輪…の様子。


図にある1番下にある曲輪(この場では三の曲輪になってます)の横にある小さな曲輪が下の画像にある右側のアスファルト敷の平坦な場所(今は駐車場)だと思われます…OK

図にもある端っこの曲輪跡か?


その駐車場(企業様の)から下を眺めて見ると、男川(おとがわ)の支流の稲荷沢が見えました…これも図の位置と合致しますね…。ポーン

男川の支流の稲荷沢が見えた…。


それにしても、本曲輪と思われる場所の一段高い場所の存在が気になります…。??

この場所の存在は…何?

その高い場所の周辺を探索してみるど、堀切、竪堀、土塁などを発見しました…。グッ

竪堀

土塁が2本…(手前と奥)

土塁と土塁の間に堀?が…

石垣崩れ…?

木々の隙間から見える男川

虎口近くにある石垣が…

虎口近くの土塁の様子…


虎口は藪で分かり難いです

低い位置にある謎の石垣…


武田、徳川両家に揺れた奥平家の久保城址でした…完了