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登城口
案内説明看板
見上げる城跡がある山を眺めて、さあ!懸かれー!と気合い十分で行軍開始…
あの山へ…
のどかな畑を通り抜ける道から山に向かう緩い階段を前にして更に内から燃えて来る何かが…
登城開始!
しばらく階段を上って着いたのが、丸子稲荷神社でした…
丸子神社と案内説明看板
案内説明看板に目を向けながら軽く休憩…
ひと息してから歩き始めてすぐくらいの場所に兵を駐在するための『駐屯地』があり、その先には、『土橋』と記載された看板がありました…
駐屯地と土橋の看板周辺の様子…だョ
土橋
土橋を渡れば『大手曲輪』と記載された看板が…
大手曲輪の様子
大手曲輪を通り過ぎれば、『北曲輪』との文字が…その下には補足が記載された看板が…今川時代には本丸だった場所だとか…武田氏が奪取してからは、堀や土塁などを改修されたり郭を追加したりされたみたいです…
北曲輪の様子
土塁の様子
土塁を眺めながら歩いて行くと、いつの間にか三の丸内に…しかも本丸まで100mを示す看板が…
三の曲輪の様子と看板
変わり映えのない三の曲輪内で何処が境目だったのか分からないまま二の曲輪の看板が…
いつのまにか二の曲輪…
その二の曲輪内には展望台が設置されていて、そこからの景色にしばし見惚れていました。
展望台があります
静岡市、伊豆半島が見える
二の曲輪の展望台の反対側には深い空壕が三の曲輪方面から本丸方面へと施されて、堀に沿って土塁もつづいていました。
堀と土塁
二の曲輪の様子
二の曲輪から本丸に向かう途中には堀切を渡り本丸手前には枡形虎口が施されてました。
堀切の様子
桝形虎口(ちょっと分かり難いですが)
本丸入口の様子
本曲輪(本丸)の様子
本丸入口周辺からはグリを土塁で形成されていました。
大鈩(おおだたら)曲輪への繋がりには『食い違い虎口』が施されてました。
本丸先端部には、と言うよりも本丸内先端部には『馬出曲輪』看板がありましたが…ひょっとして、大鈩曲輪(登城入口にあった看板の縄張り図)の事なのかな?とも思いましたけど…イマイチ分かり辛い場所でした。
食い違い虎口の場所
謎の馬出曲輪の看板…
とりあえず、縄張り図にある『大鈩曲輪』に行くべく、その馬出曲輪先の傾斜を降りて行きました。
馬出曲輪看板から見た様子
大鈩曲輪と本丸の間の空壕
大鈩曲輪には武田氏独特の『三日月堀』が施されていました。
三日月堀の一部
本丸側から見えた景色
大鈩曲輪の様子
やはり馬出曲輪は大鈩曲輪の事だったんでしょうかね〜
入口の縄張り図(見取り図)
本丸に戻り、縄張り図にある五段に連なる『袖曲輪』への入口となる『平虎口』がありました。
平虎口の様子
一段目までは行けましたが、その先へはシダやブッシュだらけでおまけに急斜面にも見えて危険だと判断して戻りました。
平虎口近くの土塁上には国土地理院の水準点があったり、本丸を示す古い看板などがありました。
本丸にあったもの
本丸を離れる前に本丸に高く施された土塁上から二の曲輪周囲の堀、堅堀などを眺めてから離れました…
本丸と二の曲輪の間の空壕
本丸から見た堀切と二の曲輪
本丸から見た二の曲輪沿いの空壕
本丸と二の曲輪の間にある竪堀
来た道を戻って行きました…来る時にあった土橋の横の堀は『三日月堀』だった事、本丸にある平虎口から先の袖曲輪(帯曲輪)の一段目が狼煙台だった事を後で知りました…
土橋横の三日月堀(分かり難いネ)
登城開始してすぐに分岐している道がありましたが、下りでちょっと寄り道して来ましたが、高い土塁上で行き止まりでした。
土塁上の先端部から城跡のある山の方面を眺める
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