恒例の週参り一言主神社に参拝
先週と違い閑古鳥が鳴いていました。
綺麗な花が整然と並んでいました。
一言主神社参拝の先週の13日は、
露店が出たいたり人も繰り出していて
何事か?と思いましたが『月次祭』と言うことでした。
毎月13日 午前9時より
月ごとの決まった日に行われるお祭りで、
皇室の弥栄と国の繁栄、地域と氏子崇敬者の安寧を祈るお祭りです。
皇室の弥栄と国の繁栄、地域と氏子崇敬者の安寧を祈るお祭りです。
当社では縁起にある
“三岐の竹”
が現れた13日という日を縁のある日と定め
毎月の13日にこのお祭りを行っています。
“三岐の竹”
が現れた13日という日を縁のある日と定め
毎月の13日にこのお祭りを行っています。
参列は自由参加となっておりますので是非ご参加下さい。
ご参列された方にはこの日限定の月次祭大麻札をおわかちいたします。
と言うことでした。
![一言主神社 御本殿](https://livedoor.blogimg.jp/love_elan/imgs/9/e/9e838043-s.jpg)
御本殿
と言うことでした。
![一言主神社 御本殿](https://livedoor.blogimg.jp/love_elan/imgs/9/e/9e838043-s.jpg)
御本殿
中世の戦乱により荒廃していた当社本殿は、
一言主大神を篤く信仰していた
平将門の後裔と伝わる下総国守谷城主相馬弾正胤広侯の寄進によって
長禄3年(1459年)に再建されたと記録されています。
その後の約150年に渡り修復・焼失等の記録はありません。
一言主大神を篤く信仰していた
平将門の後裔と伝わる下総国守谷城主相馬弾正胤広侯の寄進によって
長禄3年(1459年)に再建されたと記録されています。
その後の約150年に渡り修復・焼失等の記録はありません。
現存する社殿には、
更に近世へと下った元禄13年(1700年)正月13日、当社遷営の際に大修理が行われました。現存の棟札によれば、同国山川村の市村安兵衛を棟梁とした宮大工集団がこれを手掛けたと記録されています。
更に近世へと下った元禄13年(1700年)正月13日、当社遷営の際に大修理が行われました。現存の棟札によれば、同国山川村の市村安兵衛を棟梁とした宮大工集団がこれを手掛けたと記録されています。
本殿の造りは一間社流造(いっけんしゃながれづくり)で
屋根は桧皮葺(ひわだぶき)風の銅板葺、
朱塗りの社殿に彩色の施された彫刻が特徴です。
身舎(もや)外壁の左右に「鳳凰と牡丹」、
後側に「鷹と牡丹」の彫物、
脇障子には当社ならではの「三岐の竹」の彫物がはめられています。
以上、簡単な説明でした。
参拝のあとは
帰り道にある
坂東市のダンスホール・メ-クインさんで
練習をしてから帰途につきました。
![20240123-11](https://livedoor.blogimg.jp/love_elan/imgs/5/1/51762558-s.jpg)
屋根は桧皮葺(ひわだぶき)風の銅板葺、
朱塗りの社殿に彩色の施された彫刻が特徴です。
身舎(もや)外壁の左右に「鳳凰と牡丹」、
後側に「鷹と牡丹」の彫物、
脇障子には当社ならではの「三岐の竹」の彫物がはめられています。
以上、簡単な説明でした。
参拝のあとは
帰り道にある
坂東市のダンスホール・メ-クインさんで
練習をしてから帰途につきました。
![20240123-11](https://livedoor.blogimg.jp/love_elan/imgs/5/1/51762558-s.jpg)