キュウリが教えてくれたこと | 気づきの時間

気づきの時間

日々の感じた事、気付いた事を綴っていきます。

2018年10月に、自分の体に電流が走ったように突然、実感した話です。


今日の夕飯は『サラダ』と『から揚げ』。

  

「うわーっ!今日のご飯は唐揚げ!テンション上がるぜっ!」

 

サラダのキュウリを口に入れる瞬間「はっ!!」と「俺の世界観」が広がった。

 



「俺、このキュウリを作った人知らないっ!!!見た事も無いし、会った事も無い!!」

 

「でもたった今、当たり前の様に食べてる。」

 

 


「・・・待てよ。作った人も知らなければ、ここまで運んできた人も知らないし、売ってくれた人の顔も覚えてねぇっ!!それにキュウリがどんな風に芽を出し、育ったのか、どんな環境で生きてきたのかのかも知らない!!」

 

「このキュウリがここに来るまでの一切を何も知らずに、俺は今このキュウリを食べる。そんなキュウリを食べれるなんてすげぇ!!」

 



「・・・えええええええっ!!!やべぇっ!やべぇぞっ!!この食卓にあるもの全てが、誰が作ったのか、誰が運んでくれたのか、誰が売ってくれたのか、どんな風な環境で育ったのか、一つも知らないっ!!!!!レタスもピーマンも鶏肉も小麦粉も油も醤油も塩も胡椒も・・・。ホントにひとっ!っ!っ!っ!つ(ひとつ)も自分は、知らない。」

 

「うっわー!今まで30数年生きてきた毎日の食事の材料の全て、誰が作って、運んで、売ってくれたのか知らねぇよ。」

 



「あれ!?このスウェットパーカーもズボンも靴下も誰が作ったのか知らねーじゃん。」

 

「今使っているお箸もお茶碗も、パソコンも携帯電話もバッグも車も家も誰が作ったのか、俺は知らない・・・。」

 

「こんなにたくさんの人やモノの支えがあって今を生きている自分て、メチャクチャ恵まれてるんじゃないか!?むしろ、こんなにたくさんの人やモノの支えがあるって、俺は『物凄い力(宇宙)』に生かされている気がする。なんか手が震えてるよ・・・。」

 

「自分が生まれてから30数年ずうっと、常に多くの人やモノの支えで生かされてきたんだ。」

 

「ああ。なんて有難いんだ。ありがてぇ。ありがてぇ。有り難う!!」

 

しばらくその感謝の気持ちに浸っていると、




 

「あら!?これって俺だけの事じゃなくね?今生きている全ての人に言える事じゃね?だって、今生きている人は、絶対に食事してるし絶対に服を着てるし、雨風を凌ぐ住む場所がある。」

 

「・・・何かすげぇ。全ての人が生かされているよ。」

 

「今まで身近な人、例えば、『家族、友人、学校の先生、上司』やモノ、例えば、『自転車、車、バッグ、いつも使う道具』への感謝の気持ちは少なからず持ってきたと思うけど、なんか『感謝』という言葉の力を十分に実感できなかった。それは『感謝の対象の幅』だったのかもしれない。」



 

「もう生きている限り、『有り難う』を言い足りる日は来ないなぁ。それに、なんていうか生きている充実感、幸福感、感謝の『念』を今まで以上に感じる。」

 

「明日も誰が作ったのか知らない車に乗って、誰が作ったのか知らない道を通って仕事に向かう。」

 

「有り難う」