「お母さんのせいで」から「お母さんのお蔭で」 | 気づきの時間

気づきの時間

日々の感じた事、気付いた事を綴っていきます。

私は中学生の頃、バスケットボール部い所属し、それはもう夢中になっていました。

 

当たり前のように、高校に進学してもバスケットボールをやりたいと思っていましたし、県内のバスケットの名門に入学したいと考えていました。

 

しかし、この高校進学で「母親の進んで欲しい高校(大学進学も狙える勉学重視の高校)」と「自分の進学したい高校(大学進学は難しいがバスケットボールの名門)」と意見が合わず、衝突しました。

 

中学生活最後の試合が終わった日から数カ月間、母親と毎日の様に喧嘩しました。自分のやりたい事を理解してくれない母親に対する怒りと自分の事を自分で決められない不甲斐ない自分に苛立っていました。結局お金を出すのは親ということで、私は母親の望む高校に入学する事にしました。

 

私は、その時から約20年間、この一件を整理することが出来ませんでした。母親との関係が良好なった今も、ちょっと心に引っ掛かりがあるのです。


バスケットボールに本気で取り組んで来て、もっともっと上手くなりたいと思っていました。自分の可能性をさらに高いレベルで試したかったし、もっともっとやれたはず!この不完全燃焼は母親のせいだ!と思っていました。


希望する高校にさえ行ければ。。。と常々思っていました。

 

でも最近、自分の今までの生活を振り返っていると、「母親の選んだ高校に行って良かったな。」と思いました。私の今があるのは、母親のお陰だなと。


小学生の頃、友達の流行の服を見て、自分が賎しい気持ちになったり、高校の同級生の持ち物や立派な家や高級車を見ては羨ましく思いました。友達にあって、自分にないものを見つけては羨んでました。


私は高校を卒業して大学に進学し、都心に住むようになりました。そして、素敵な仕事に出逢い、価値観の合う仲間と仕事をしています。年に何回も全国のいろいろな場所に行くせてもらう機会も頂きました。


父と母は自分のための家や車、子供が衝動的に欲しいもの(流行の服や靴)にお金を使うのではなく、私を含めた兄妹、子供達の進学の為、将来の為に一生懸命働いて、コツコツとお金を貯めていてくれたのです。


あの高校進学の時、母の希望する高校に行かずに、私の希望する高校に行っていたら、私のこれまでの経験はなかっただろうと心の底から思います。


あのとき母が頑なに、何がなんでも進学校に行かせる事を譲らなかったお陰で、私の今があるんだと気付きました。


あらためて、「お母さん、産んでくれて有り難う。あの時、お母さんの言う通りの進学校を選んで良かったよ。」


これを言いに明後日実家に帰ります。