悟り系では、「私」という言葉が多用され、一種のパラドックスを作っている感がある🤪


私はいない、から始まり、この私の肉体は私ではない。私が全ての創造をしている。

私はあなた、あなたは私。全て私。私しかいないなどなど🤪


私達が普段認識している、この人としての私と、本質である意識エネルギー(それとか、永遠なるものとか、大いなる意識とか)のことが、ごちゃ混ぜになって表現されているというか。

わかる人にはわかるけれど、まだそこまでわからない人には、何がなんだかわから〜んで、パンチ🤛


私もその段階では、頭グルグルだったので、今でも、そういう言語表現が適しているのか、多いに疑問を持ったりしている。


この肉体は私ではないは、この肉体は本質なる私ではないと、表現するだけで、グルグルにはならないのに😜


ここに固執している意味は何⁉️

そもそもなぜ永遠なるものを、私と言うのだろうか⁉️


ワンネスだからかな☺️

全てが私だということが腑に落ちると、分離のない一つの光子しかないことがわかり、それは一つだから、一人称だということか⁉️


この頃とにかく真理の表現の、定型的なものへの懐疑が、湧くわ湧くわ😀

ワクワワクワ…なんかおもろな綴り!


ウソも多いけれど、何を信じ、どんな意味付けをし、どういうストーリーを組むかは、自由🎈 

それが、全て私が作っている、ということだから😀

けれどこれは創造主の創造ではなく、エゴが作る設定、概念からの物語だけれど😁