接客のお仕事が多い私ですが

わがままだったり、ちょっとね…っていうお客様に出会うと

決まって思い出す体験があります。



少し前になるのですが、三宮へ行く途中に

「新快速」に乗りました。

すると、満員電車の中で人目もはばからず

抱き合っているカップルが目の前に。

女性の方は、うちの娘がじっ と見ていたので(笑)

少し気にしている様子でしたが

男性はおかまいなし。

周りの人もその様子に

少し不快感を示しているようでした。

電車が神戸に到着し、カップルは降りる様子でした。

 

と、その時女性が

「○○君、電車とホームの隙間がちょっと広いよ。

 25センチぐらいだよ。」

と声をかけました。

 

男性はにっこり頷くと、

しっかりと女性につかまり電車を降りました。

どうやら男性は目が見えないようでした。

 

女性は、降りてから、こちらに向かって

ペコリと頭を下げて男性を導き歩き出しました…。
  

ものの一分の間に

私の中で

「マナーの悪いカップル」という印象が

「ひた向きに生きている二人」に変わっていました。

前の駅で降りていたならわからなかった事情。

改めて、私達はほとんどを

思い込みで生きているのかもしれないと感じた瞬間でした。


普通に生活していても

真新しい情報は、2割しか入ってこないといいます。

あとの8割は、過去の情報のよって変換された景色。


沢山のフィルターを通した風景を

真実だと思いこんで

私たちは生きているのですね。

それ以来、どの人も

どんな事情があるのかわからない…

自分の判断装置を“ひとまずおいておく”ことを

覚えられたような気がします。


感性をいつもニュートラルに

そして、暖かく、柔らかく。


日常の何気ないヒトコマに

目を開け、耳をすませば…

本当は、沢山目の前を通り過ぎているかもしれない

大切なシーンを感じる事ができるのかもしれません。


自分の判断装置が外れる時

パラダイムの転換が訪れる時

それは、なにも大きな危機や事件だけではないようですね。