昨日から始めた不定期かつ短期連載の第2弾。大まかな着地点は見えているので来週中ぐらいには書いてしまいたい。

 さて、今回は前回のエントリーで今回の総選挙における「表向き」の大改革のうちの1つである「立候補制」について考察していきます。

①テーマなき総選挙
 毎年、総選挙には表立っていないテーマがあった。例えば第3回は『前田vs大島』であり、第4回は『前田なき総選挙』だ。では第5回は。「第2章」の始まりともいえる総選挙であったが注目すべきは「渡辺麻友が大島優子を超えるか」ぐらいであった。これも大きなテーマではあるが、実質的にエースでありセンターに据えられている渡辺麻友の境遇を考えれば大島優子が前田敦子を打ち破った時に比べればそこまでファンの心をくすぐるものだったのかには疑問が残る。
 そして恒例の3月のライブがなく、どこで、そのタイミングで発表されるのか、そもそも開催されるのかとすら言われていた。無論、前回のエントリーに記載した通りそもそもCDの売上面から考えても実施しないことはあり得ないのだが。
 3月27日に公式ブログに今回の総選挙の開催が発表された。そこには見慣れぬ「立候補」の文字が。

②政治へのオマージュ
 AKB48は政治の要素をイベントやその展開に組み込むことが多い。この総選挙も然り、組閣も然りだ。そこに新たに組み入れられた「立候補」制度。そもそも、政治における総選挙は被選挙権を持つ人間は立候補しないかぎり投票されることはない。その意味では今回の制度改革はより実際の総選挙に近づけたといえよう。しかし、その点のリアリティを追求する意味はあったのだろうか。そしてこの時、個人的には立候補しないメンバーなどいないのではないか、とも思っていた。しかし、「立候補しない」権利を有したメンバー達にはより深い闇が待っていた。

③立候補しない自由という罠
 恐らく、ではあるが総選挙も回を重ねるとメンバーの方にも「ランクインできる/できない」の感触は何となくわかってくると思われる。そこで「できない」と感じているメンバーにとってはあの総選挙の呼ばれない時間の苦痛は堪え難いものなのだということは想像に難くない。しかし、一方で世間の目、制作者側の目は「AKB=総選挙」となっているのも事実であろう。それだけこの総選挙の重みは増している。つまり、この総選挙に参加しないということはメンバーにとってはAKB48にいる意味すら問われることなのだ。
 結果として、秋元才加が立候補を見送ることと同時に卒業を発表。その後小森、松原、中塚と立候補をしなかったメンバーが続々と卒業を発表した。中にはNMB48の小柳や岸野のように明確な理由をもって立候補を見送るものもいたが、AKB48の上記メンバーは立候補制度であることが卒業を考える一因となった旨を述べていた。批判を覚悟で言うならば、秋元以外はAKB48にいることと卒業することが彼女たちの芸能活動においてどちらがプラスかと言えば正直、前者であろう。そして、この立候補制さえなければこのことを考えることすらなかったかもしれない。その意味で彼女達の心の中になんらかの傷を負わせた可能性すらある制度だったのではなかろうか。

④残酷物語を押し付けた
 前回のエントリーならびに先述の通り、AKB48の退潮ムードが漂っていた春先にいろいろと目先を変える意味で今回の総選挙は改革がなされた。決して改革することに異を唱えるつもりはない。そしてトライ&エラーこそがAKB48の歴史だとも言えよう。しかし、今回の立候補制度はそこまでメンバーに押し付けるのか、と思わざるを得ない。
 これまで「まな板の上の食材として調理されなさい」、つまり自分自身で変に考えるよりもまずは他者の目にさらされて自分の力量や魅力を発掘されなさいという姿勢から「自分で自分の今後の道を考えろ」と突然メンバーに身を委ねるように変更されたのだ。
 この新たなAKB残酷物語がどのような結果を招くのか。以前の大きな残酷物語である「総選挙」の導入は批判がありつつもAKB48を一躍スターダムへと押し上げた。この新たな物語が大きな船を沈ませることがないことをただただ願うのみだ。

 それでは