なんとか1日が終わった。
病院の日だったからどうかなと思ったけど、17時すぎに夕飯を終えて洗濯とお風呂を終えたら一気に眠気がきた。1人でいた日は家事をめいっぱいしようが部屋の中で動きまわろうが考え事をいくらしようが、意識が飛ぶほどの眠気はない。
早く人と触れ合うことに慣れたい。
なんとか1日が終わった。
病院の日だったからどうかなと思ったけど、17時すぎに夕飯を終えて洗濯とお風呂を終えたら一気に眠気がきた。1人でいた日は家事をめいっぱいしようが部屋の中で動きまわろうが考え事をいくらしようが、意識が飛ぶほどの眠気はない。
早く人と触れ合うことに慣れたい。
時々「あ、大丈夫かも」という瞬間が訪れる。
鬱々としていた気分が晴れ、体が軽くなり、家事や書類の整理なんかがちゃんと進む。今日はそれだった。2〜3日続く時もあれば1日しかもたない時もある。
それでもその日だけは、大きくなった自己嫌悪の感情が少しどこかに消えてくれる。
心のバランスを崩してから、元々強かった自己嫌悪が勢いを増している。
息をしているだけでお金のかかる世界で、自分ができるお金を得る手段をストップし、周りも耐えているであろう辛さや苦労やストレスに立ち向かえない自分がどんどん嫌いになっていく。
通院の日のあとは3日間寝込む。起き上がろうとしても目の前が真っ暗になり飲食もせずひたすら眠り続ける。なんとか起きようと最大音量に設定したアラームも誰かからの着信も一切聴こえない。家族以外の人と同じ空間に数時間いるだけで2日間寝込む。自分ではどうにもできない眠気と疲れに負ける。激しい運動をしているわけでも長時間労働をしているわけでもない今、なんでこうなってしまったのか、甘えているだけで逃げているだけじゃないのかということしか頭に浮かばない。
そういうことが頭を支配している時、必ず浮かぶ顔がある。他人のせいにしたくない、いやあの人だってがんばっているんだ、真剣だからこそのああなんだと今まで色んな理由をつけてきた。でも一瞬でもよぎったその顔は息を吸えなくしてしまう。今の私には同じ空間にいることは何があっても無理な存在。
誰しもいると思う。苦手な人、嫌いな人。大人になれば嫌いな人とも仕事していかないといけないよ、と子供の頃言われたように好き嫌いだけで仕事はできないのもわかる。ただ話していた。
「人の好き嫌いが激しいですよねって前の会社の後輩にも言われたんだよね〜アンケートにも書かれちゃった〜笑笑」
聞けばいつの頃の話かはわからないが以前勤めていた会社の人にそう言われ、嫌われた人はそれに耐えられなくなったら辞めると。そしてそれは今も変わっていない。強くない奴は辞めていけばいいと。
何を耐えるべきかわからない。超えられない試練はないというが、立ち向かい勝負することのみがそれを超える方法なのか。真っ向から勝負を挑んで得るのは私が欲しいものか。ボロボロになっても私はそれを守りたいのか。
多分違う。その人と上手くやっていくことでも会社を変えたいわけでもない。目指しているのはそこじゃない。一緒にいるだけで息ができなくなる人と無理に共存しようとしなくてもいいのではないか。それは私にとって、呼吸に作用する有害ガスを発する物体と密室に閉じ込められても生きていけと言われているような感じ。その部屋に入っていくしか選択肢はないのか。
多くの人がいう「普通の人」ならば仕方ないと言いながらその部屋に入っていけるのだろうか。
昨日、生活に必要なものの清算をしなければならず外出。
その時、初めて近所の商店街で買い物をした。じゃがいもとほうれん草。いつも行っているスーパーが安売りしてる時と値段に大きな差があった訳ではないけど、量が違った。ほうれん草はまとめられた束が多かったし、じゃがいもは春の新ジャガがたくさん入っていた。
19時ぐらいまでの営業らしく、仕事をしている日々には行けない場所。
節約にもなるかなと試しに買ってみようぐらいだったのだけど、じゃがいもの入った袋を握りしめてほうれん草を買うかスナップエンドウを買うか菜の花を買うか迷っていた私に「これはね、鹿児島の春のじゃがいもだから美味しいんだよ」って声をかけてくれた。
緊張したり苦しくなったりはしなかった。
「お箸いりますか?」とか「袋どうしますか?」っていう会話じゃなくて「これ美味しいんだよ」って風な会話を久しぶりにしたような気がする。今の体調はこうで、とか、書類はいつまでに、とか、報告みたいな会話しかこの数ヶ月していなかったなと初めて思った。
野菜は、またあそこの八百屋さんに行ってみようと思う。