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林太郎のブログ

歴史小説を書き、お酒大好き。「憲法9条を守る穂高の会」事務局。ツイッターは「野村裕」で発信、政治に関すること多し。

 89日、「家族会」と墓参りのため朝7時出発。


 宮城・岩手など、地震と津波、そして原発事故による被害の状況を見ながら秋田に向かう計画で51号線から利根川をこえ、霞ヶ浦にそって355号線を水戸へ。

石岡市から6号線を走って仙台に向かう。いわき市で昼食をとり、そこから車中で放射線量を測る。0,150,41 μSv/hと自宅近くにある公園より高く、広野町あたりから2,5を超えるようになり、楢葉町ではさらに上がる。


途中「仙台方面は49号へ」の看板があり、あるいはと気になっていたが、蛍光色のヤッケを着て「第二原発」の標識がある交差点に立っていた人は何も言わず、それらしい合図もなし。行けるところまで行こうと思ってさらに進む。


 車は通っているがひと影はなく、地震で壊れた建物が痛ましい姿をさらしている。線量はどんどん上がり、富岡町に入ると4,7μSv/hを超える。双葉町まで10数キロのところで通行規制をしていて、身分証と通行許可証を求められる。仙台に行くことを告げると「いわきまで戻らないといけない。抜け道はない」とのこと。警察車両があり、制服姿の警官がいたので、東電関係の臨時職員であろうか、32度を超える暑さのなか太陽に光る白いマスクが生々しい。


 Uターンした道の歩道橋に「まけないぞ」の横断幕。白かったはずの布がうす黒く変色していて、思わず涙が出る。

 未だこういう状況で多くの人が苦労し、家族が離れ離れになり、人生をさまよっているというのに、そんなことは歯牙にもかけず、事故の「終息」を宣言し「再稼働」を主張するこの国の首相と自民党。


 なぜか彼らは「国家国民のため」ということばが好きだが、国家とはなにか、国とはなにか、そして国民とはどのような存在なのか、あらためて考えなければいけないと思う。





一龍斎貞鏡さんとのご縁で講談に興味をもつようになり、その視線で身のまわりを注意してみると、時事的なテーマや平和運動など、さまざまな分野で伝統芸能が息づいていることがわかり、人生がとても豊かになりました。


 講談に興味をもつまえ、ボランティアで通っている事務所に一枚のポスターがあり、神田香織さんの「フラガール」が目に入りました。ところがそのときは知識のない悲しさ、「ふーん、講談で『フラガール』か…」と思っただけしょぼんしょぼん


 その後、『はだしのゲン』や『チェルノブイリの祈り』などを発表している神田さんの活躍をインターネットで知り、先日は、千葉県弁護士九条の会の共同代表をされている渥美雅子さんの記事(『東京新聞』9日付け)が目にとまりました。次のように書かれています。


 「渥美さんは『渥美右桜左桜(うおうさおう)』という芸名で講談師としても活躍する。改憲論を受け憲法を題材にした講談を初めて創作し、今月一日夜に県弁護士九条の会の集会で披露した。


 ある夜、寝入った首相の枕元に老いた女性の幽霊が立つ。『わしは戦争で兵隊の相手をさせられた。憲法を変えて軍隊をつくる? わしらの苦しみを何も分かっちゃいない』。幽霊は恨めしそうに漏らしながら、首相に迫ってくる-。

 首相官邸に幽霊が出るという怪談話のパロディーだ」。



 「(渥美さんは)改憲により自衛隊が軍隊になれば、再び若い人が戦争に狩り出され、命を落とすかもしれない。生活に困窮する人が、食べるために軍隊に入らざるを得なくなることも考えられる。『改憲論の高まりはバブル崩壊以降の経済的な低迷の反動。社会が武力で国のプライドを保ちたがっているからだ』と指摘する」。


 身近にこんな方がいるなんて・・・とても感動した記事ですが、貞鏡さんとお会いしなかったら、たぶん見過ごしていたにちがいありません。

 仏教に「因縁生起」(いんねんしょうき)という言葉があります。「因」は結果を生じさせる直接の原因、「縁」はそれを助ける条件のことだそうです。

人の縁は不思議なもので、豊かな人生、心の広がりにつながるようです。そういえば貞鏡さんと初めてお会いしたのは千葉県館山市のお寺さんでした。これも何かのご縁でしょうか。

 




 6月29日(土)、『小説 波の伊八』のご縁で、貞鏡さんが出演する「第409回 花形演芸会」(国立演芸場)に妻とふたりで行きました。


 国会議事堂や衆議院会館、国立国会図書館には何度も足をはこびましたが、「演芸場」へ行くのは初めて。歩きながらと思って東京駅から皇居に出、柳の枝を手で払い、お堀に浮いている亀を見ながらぶらりぶらり。

 朝食をかねたお昼をと思って入ったのが、日比谷公園の近くにある黒豚のお店。11時を過ぎるとたちまち満席。ほとんどは女性のお客さんで男性は数人。最近どこへ行っても元気なのは女性のみなさん。


 二人でビールを飲み、よい気分になって会場へ。落語・講談・コント・曲芸・・・堪能しました。テレビ桟敷だと笑わないと思われるところでも笑いが出、いまさらながら生のよさを感じ、なぜか「一億総白痴化」という言葉を思い出しました。


 会場を出、永田町駅から電車に乗って神田神保町の「らくごカフェ」で開かれる「貞鏡の会」へ。街は見慣れた場所ですが、古書センターの5階は眺めたことがなく、場所を確認してから夕食。またまたビールを飲み、時間を調整して会場へ。

 ところが表のエレベーターは5階を素通り。なんどか迷ってからビルの裏にあるエレベーターを教えてもらい、無事に到着。いまさらながら田舎者を実感ガーン

 

 館山につづいて二度めの『波の伊八』もよかったけれど(^-^)/、 毒婦伝『浪花のお辰』・・・あの声の変化・・・いかにも憎々しげでドクロ叫び、とても20ウン歳とは思えません。話芸のマジシャンという意味がようやくわかりました。




 ボランティアで通っている事務所の近くを小さな川が流れています。房総半島には急峻な山がなく、大きな川も小さな川も流れはとてもゆるやかです。そのせいか少し濁っているのが難点です。


 この川には大きな鯉が群れをつくって泳いでいます。釣り人が小舟をうかべて上り下りする姿をよく見かけます。

 カワセミもよく飛んできますが、悲しいかな望遠のないデジカメ。素人にはとても撮ることができません。カモやサギの仲間もよく見かけます。

 

 ところで下の写真、釣り人も鳥もいませんが、違う角度から撮ったように見えませんか? 実は同じ写真を並べたものです。ほんのお遊びです  !(^^)! ≧(´▽`)≦


 つまらない遊びですみません (*^_^*) (* ̄Oノ ̄*)



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 小説の最終章に、次のような場面があります。うわさ話に関することです。


 腑分けを終えて数日たったころ、風邪をこじらた東洋は、ひどいめまいに襲われて起きあがることができなくなった。はじめは木の芽どきにありがちな病気と高をくくっていたのだが、熱がさがらず、めまいも意外に頑固だった。
 東洋が病臥したことを知ると、
――ひとの皮を剥ぎ、五臓をえぐった祟りだ
――堀川丸太町の山脇は人非人だ、きっと地獄に堕ちる
 と、人びとはうわさした。
 うわさというものには、自らを安全なところにおいて他人の不幸を期待するという、一種の残忍さがあるものだが、祟りだとい話がひろがるにつれ、洛中には東洋をあからさまに非難し、攻撃する落書きがあらわれた。


 うわさ話にひそむ残忍な心理――。それは優越感にひたりたい心であり、ひとが七転八倒するのを見て楽しむ気持ちであり、いつの世もあるものですが、子どもたちの「いじめ」をめぐる現代社会の問題には、「人の噂も75日」というわけにはいかない深刻さがあります。


 友達をいじめてスカッとする、みじめな自分を救うためもっとも近しい人を否定する・・・。

 小説を書くとき、養老孟司先生の本を繰り返し読みましたが、先生は『考えるヒト』(筑摩書房)のなかで次のように書いています。
 「子どもたちには地位はなく、力はなく、知識はなく、お金も名誉もない。彼らが持つものは、唯一『真の未来』だけである。現代社会はそれを惜しみなく奪う」。


 どうしたら生きる喜びを感じられるか――子どもたちについて話し合える社会にしたいものです。




「タイトル」と「テーマ」の区別さえつかなかったブログ・・・

少し要領がわかってきました。


庭の「旗竿桔梗」――空梅雨のせいか、ことしは花も葉も小ぶりです。午後の陽をあびて光っています。

下から順に花がひらきますので、あと10日ほどは楽しめるかもしれません。


この花が終わるころには、窓際に植えたゴーヤが伸びてきます。

「緑のカーテン」で、この夏も・・・ サー 張り切って

節電・節電 (^^♪ (^^♪



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  「日本でいちばん若くて可愛い講談師」 一龍斎貞鏡さんは講座に上がると、「われわれ講談の世界では身分階級というのがございまして、まず入門いたしますと初めは見習い、次が前座、二つ目、真打、講談会会長、人間国宝、ご臨終・・・」と言って笑わせたあと、「真打になるにはあと10年、長い道のりでございます。人間国宝になるには60年かかってしまいます。みなさまどうか長生きをしていただきたく・・・」と参加者をねぎらいました。


 それから釈台と張扇の説明をするのに、台をパンパン叩きながら、「まいにち喉から血が出るほど」稽古をしたという「修羅場」の語りを紹介し、生で講談を聞いたことがない参加者のため、おなじみの「安兵衛駆け付け」を一席。


 次の演目にうつる前に張扇の説明。「まずは強調したいところで叩きます。あとは場面転換でございます。たとえば、烏カーで夜が明ける」 パン!「夜が明けてしましました」。 「あっという間に300年の歳月が」 パン!パン!パン! 「300年たってしまいます。もう展開の早い芸能となっておりますので、置いて行かれないようにがっつりとついてきてほしいと思いますけれど・・・」といった調子の語りがつづきます。


 話の間合い、声の強弱・・・文書で表現するのは不可能ですが、当日の朝、NHKで放映された「日本の話芸」(貞鏡さんの師匠でお父さんである一龍斎貞山先生の講談)を録画し、帰宅後に聞きました。演題はおなじ「安兵衛駆け付け」です。

 テレビと生ではこんなに違うものか――というのが率直な感想で、本物に直接ふれ、肌で感じ、耳で聴くことの大切さをあらためて感じました。


 朝、会場になった総寺院さんの近くを散歩したとき、白い花のツユクサを見つけました。ムラサキツユクサとちょっと趣がちがうので写真をとりました。調べてみたら「常盤ツユクサ」という名前でした。下は総寺院です。



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 6月1日、館山市仏教会主催の講演会に妻とふたりで参加しました。9回目の今回は、「日本でいちばん若くて可愛い」 !(^^) と自己紹介した女流講談師・一龍斎貞鏡さんの楽しい講談でした。


 実を言うと、私のこのブログは、貞鏡さんから「波の伊八伝を講談にさせて頂けたら・・・」というお手紙をいただき、快諾してホームページを開いてみて「読者になる」をクリックしたところ、よくわからないままアメーバの会員になると、なぜかブログをつくる画面が出てきました。それが縁で試行錯誤がはじまったのです。


 「講談会」は、総寺院さんの講堂がいっぱいになるほどの盛況で、講談とはどんな芸能かというところからはじめた貞鏡さんの巧みな話術に、参加者は、笑ったり、拍手したり、身を乗り出したり・・・。終わってから貞鏡さんが「お土産」を配ってくれるという思いがけないサービスまで。ほんとうに楽しいひと時で、すっかり「若くて可愛い」講談師さんのファンになってしまいました。



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 江戸時代、内科は「本道」と呼ばれ、ほかの科より権威がありました。ほかの科といっても外科、眼科、針科、産科などがあるだけ。それが現在では「内科」とひとくくりにはせず、循環器科、呼吸器科、内分泌科などに分類され、「外科」も脳神経外科、整形外科、形成外科、そして口腔外科、歯科というように区分がすすんでいます。現在いくつの診療科があるかわかりませんが、病院によって表現が違う場合もあるようです。

ところで「自分探しの旅」という言葉を最近よく耳にします。「あなたは世界でひとりだけ。だから自分を大切にしよう」という若者への呼びかけです。私の好きな言葉です。けれども時に「まてよ」と思うことがあります。この世に一つしかないものをどうやって探すのか、だれかに教えてもらおうと思っても説明のしようがないからです。


科学や医学は分類し比較することから発展してきました。「内科」「外科」……「果物」とひとくくりにすることから、🍌と違うから🍎🍎と違うから🍊🍊違うから🍇というふうに。 

このように考えれば、おまえと違うからおれ、あなたと違うから私ということになります。他人と自分はもともと違うのですから、まず自分は自分と割り切る、そして協調できるところがあれば協調する、それでよいのではないかと思います。






 「小説 大原幽学」を書きはじめている。

 書き出しは次のようにするつもりだが、これから雨が降ったり風が吹いたり、現実の世界と同じで、何かを見たり聞いたりすれば主人公の気持ちが変わるだろうから、物語がどう展開するかはわからない。しかし、史実を勝手に変えるわけにはいかない。わからないところは想像で埋めていくことになる。


     遍歴

ゆるやかにつづく坂道をのぼっていくと、(くん)(しゅ)山門に入るを許さず(不許薫酒入山門と書かれた標柱があり、視線の向こうに伊吹山がどっしりと坐っていた。

いつもの年なら、木々の根元の雪がとけ、枯葉がほっこりと顔を出す季節であった。しかし、一八三〇年(天保元年)のこの年は、膝まで埋まるほど雪があり、南向きの斜面にも根開きした木はなかった。

標柱の戒めは、いかにも禅寺らしいもので、墨がまだ新しく黒々としていた。野太く勢いのある文字は提宗(ていそう)和尚が書いたものにちがいなかった。幽学(ゆうがく)は雪をすくって手を浄め、その手を鼻先に近づけた。むろん酒は飲んでいなかった。においの強いものも口にしてはいないと思った。