林太郎のブログ

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歴史小説を書き、お酒大好き。「憲法9条を守る穂高の会」事務局。ツイッターは「野村裕」で発信、政治に関すること多し。

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看板は、「本気で戦争を止める!中信市民連合」からお借りしました

 

 

2019年1月26日、「語ろう 聞こう 共闘で安倍政権ノー 憲法を守る 市民と政党のつどい」を安曇野市の「豊科ふれあいホール」で開き、市内外から100名の方が参加しました。

 

左から日本共産党・社会民主党・国民民主党・みどりの党・立憲民主党(文書参加)   右の2人は司会者

 

 

「控えコーナー」で談笑する各政党の代表(右から みどりの党 実行委員会3名 社会民主党 国民民主党 日本共産党の代表)

 壇上での並び順はくじ引きで決めました

 

 

 =安倍政治に決着をつける年=

安倍政権さようならの大きな一歩  市民のこれからの活動が大事!!

 

①安倍政権下の改憲 ②安保関連法 ③沖縄の米軍基地 ④原発 ⑤アベノミクス――について、各政党からそれぞれ誠実な話がされ、会場からは、一本化については共産党がカギを握っている、選挙区は決まった人にいれる代りに比例代表は共産党や社民党に、とにかく選挙に行かなければ、選挙制度を変える必要があるのではないか・・・・・など、積極的な質問や意見が表明されました。

 

市民活動をさらに広げ、「心ひとつの共闘」「本気の共闘」で安倍政権を追い詰めるため、「アンケート」に書かれている感想やご意見など、今後も発信していきます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――市民と野党 共闘の新時代を安曇野から――熱い思いを語りあう最後の実行委員会を開きました

 

 

 

プログラムが決まりました

 

 実行委員会のメンバーは12時集合で会場の準備をします。お手伝いいただける方は、よろしくお願いします。

 

1月26日(土) 13時30分   実行委員会あいさつ

             33分   政党からのメッセージ紹介

第1部  主催者から政党に聞く

       ①安倍政権下の改憲に対して

       ②新安保関連法・特定秘密保護法・共謀罪について

       ③沖縄米軍基地問題

       ④原発再稼働など原子力政策

       ⑤アベノミクスと格差、貧困問題

   ①②③まとめて、5分×5野党  約(25分)

   ④⑤ まとめて、5分×5野党  約(25分)

         ――トイレ休憩――

第2部  質問と意見交換(フロアーからの自由な意見表明と

                 政党からの応答)

       主テーマ  安倍改憲を阻止するにはどうすべきか

 

参加を要請していた、立憲民主党・国民民主党・日本共産党・社会民主党・自由党・みどりの党から出席する方のお名前が次つぎに届いています。

 

  参加者に配る資料とともに、 政党への意見などを書く「アンケート」   

  も用意しています。受付でもらって下さい。

 

6野党・会派の幹事長・書記局長会談が開かれ、25日午後「野党党首会談」が行われることになりました 

 

  22日、立憲民主党・国民民主党・日本共産党・社会保障を見直す国民会議・自由党・社民党の6野党・会派の幹事長、書記局長会談がひらかれ、共闘についての対応を協議するため、国会召集まえの25日午後に、野党党首会談を開くことで合意されました。

 日本共産党の小池晃書記局長は「32の1人区での一本化が確認できる党首会談を期待したい」と意見表明しました。

 

 

 

 

 

  ニュースをみて独り言


憲法を密室で葬るアベ政権 (川柳のつもり)



ファシズムとの闘いなしに民主主義も平和もない。死の商人、アベ政権の退場を!!!



武器輸出を「防衛装置移動」と名を変えたとたん、武器の国際展会に13社が参加(三菱重工・川崎重工・日立製作所・富士通・東芝・NECなど)原発だけでなく武器の輸出を進める自公政権。「集団的自衛権」は軍需産業の利益のため戦争を起こすことが目的だ!



「酒々井町9条の会」主催の、松元ヒロのライブに行った。自民党の歴代首相の言動にたいする鋭いツッコミ、NHKニュースへの表情豊かな注文など、気骨あるコメディアンの芸を堪能。



維新の橋本、集団的自衛権で「われわれの参議院の議席で安倍政権は過半数取れる」と自民に協力。数日前「対立軸路線」と言っていたのに。落ち目の維新をだれが信用するかいな! その維新と合流する確率は「100%」と民主の前原氏。要するに彼らはアベの「お友だち」なのだ。



福岡伸一さんの『動的平衡ダイアローグ』を読んだ。生命とは何かということを「動的平衡」という言葉で説明していてわかりやすい。すべては生成・消滅の過程にあり、互いに関連し移行しながら統一的な世界を形成しているという「自然の弁証法」を見事に表現していると思う。




横綱・白鵬関のブログ、「みなさんへ」を見て記者会見しなかった理由がわかり、とても心を動かされた。妻への愛を語り、思いやりを語る横綱はすごい。


維新の橋本が、自民党との「対立軸路線」を言いだした。アホちゃうか、落ち目のタイショウの悪あがき、裸のタイショウをだれが信用するかいな!!


介護保険――厚労相が、1割から2割に負担をふやす論拠を「撤回する」と表明。データのごまかしを追及されて「今日のところは許していただきたい」(しんぶん赤旗)と答弁。ウソにウソを重ねるのが自公政治だ。


青年の皆さん。あなたは戦場で人を殺したいですか? 殺されたいですか? 自衛隊のみなさん、何を守るのですか?  クニですか? 戦地に行けば家族は悲しみませんか? アベが守りたいのは軍需産業の利益です。集団的自衛権ってそういう事です。


戦争する国、生涯派遣、残業代ゼロ、原発再稼働、武器輸出、被災者放置・・・の自公政治。そして極右のアベ演説を垂れ流すテレビ。これで驚かないのは北朝鮮だけじゃない!!


公明が政権を「離脱する」のか「しない」のか。選挙のときだけ「平和の党」、選挙のときだけ「福祉の党」が、創価学会の情勢を見るため上げた2色のアドバルーン。ところで『聖教新聞』は集団的自衛権についてどんなことを書いてるのかね。


トヨタが5年間法人税ゼロ。理由については「詳細については公表を控えさせていただきます」(しんぶん赤旗)とのこと。個人所得税+住民税増税+消費税、庶民から搾れるだけしぼりとり・・・これが自公政治の正体だ。


維新の会が「分党」し、こんどは石原新党なのだそうだ。目クソと鼻クソの違いでしかない石原と橋本がどうなろうと興味はないが、国民はもはや「野党再編」には騙されない。つくるなら「自民亜流党」という党名にしたらどうですか。


維新の会が「分党」するのだそうだ。目クソと鼻クソが・・・嗤うしかないが、分裂しても9条を壊す道は同じ。笑ってはいられませんが、政党助成金はどうなるの ( `ー´)ノ。


大飯原発について小泉、細川両氏が「差し止め判決を出しても左翼とは言われなくなった」と分析したのだそうだ(東京新聞)。これは「左翼」というレッテルで裁判官を縛っていたということ。「司法は生きていた」という垂れ幕は歴史的意味があり、司法への国民的監視が必要ということである。


大飯原発の判決について小泉、細川両氏が、「差し止め判決を出しても左翼とは言われなくなった」と分析したのだそうだ(東京新聞)。これは「左翼」のレッテルで裁判官を縛っているということだ。「司法は生きていた」という垂れ幕には司法にかかわる歴史的な意味があるということである。


アベノミクスは「アホノミクス」だという同支社大教授の浜矩子さん。「人間を軽んじ、原発や武器を輸出し、平和を破壊する行為を経済活動と呼んではいけない」(しんぶん赤旗)。「ボクちゃん一番になるんだもん」という歯切れのよい批判に溜飲が下がります。












 中高年のメル友の間で明治談義がされ、

 書きかけの小説の一部を送りました。

 ご用とお急ぎでない方はどうぞ。


花崗岩に彫られた仏さまは、木立のなかにひっそりと立っていた。案内してくれたひとが、この石仏は、仏像彫刻師の太田()古朴さんが土のなかに埋もれているのを発見したもので、天平後期の様式を示していると教えてくれた。

観ると、大杉の根本のようにぐっとそり返った花崗岩は、どっしりとした三面になっていた。しかし、一面はなにも彫られていないため、石仏は彫りの深い二面二尊の如来像である。案内してくれた初老の男は、この石仏が土中に葬り去られたのは、明治政府が神道の国教化をはかったときだといわれるが、律令制をまねて政府がつくった神祇官(じんぎかん)や神職に扇動された人びとが各地の寺を襲撃するという事態のなか、興福寺では、五重塔が二百五十円、三重塔は三十円で買い手がつき、薪にして売却しようとする企てもすすめられたのだと言った。

初老の男は、白髪まじりの髭を端正にそろえた美男子で、いろいろなことをよく知っていた。彼は、山道を登ってきたとき枯れ枝に覆われている山の斜面に「大乗院殿御持山」と彫られた石碑があったでしょうと言い、大乗院は、興福寺にあった塔頭(たっちゅう)のひとつで、この山の持ち主だったと考えられているけれど、寺院そのものは明治の廃仏(はいぶつ)毀釈(きしゃく)で姿を消してしまった。これらの事実から推察すると、政治の狂気ゆえに石仏が埋められたという説はまちがいないと思われるなどと説明してくれた。

明治政府はその後、我が国の軍隊は天皇の統率し(たま)うところにあるという軍人勅諭(ちょくゆ)、天皇は神聖にして侵すべからずという明治憲法、そして、いったん戦争になったら天皇のため命をささげ忠義をつくせという教育勅語などによって、神とされた天皇への崇拝と神社への参拝を強要した。

 天皇を神にまつりあげる政治によって、奈良県では東大寺、興福寺、法隆寺につぐ大寺で「西の日光」と呼ばれていた内山永久寺(天理市)が廃寺となり、平城京の東六坊大路から川をわたったところにあった眉間寺(みけんじ)など、多くの寺院が消えていった。興福寺は春日大社と一体の関係にあったことから、僧侶はみな神官とされ、またたくまに荒れはてていった

天皇家にしても昔から神道だったわけではない。明治維新までは、東山区にある泉涌寺(せんにゅうじ)の檀家であり、京都御所の「御黒(おくろ)(うど)」という仏間には代々の天皇の位牌や念持仏がならんでいたが、明治政府の神仏分離政策によって仏間はこわされ、位牌などは泉涌寺に移された。こうして日本は、軍国主義と侵略戦争への道を歩むことになるのだが、宗教を弾圧しようとマスコミを動員しようと、時代の進歩はだれにも止めることができない。

マーちゃんたちは、近鉄奈良駅についたあと、囲炉裏の灰にならずにすんだ興福寺にお参りし、「おかる」という店でお好み焼きを食べながらにぎやかに反省会をした。

「今日は、いろんな事を教えてもろうて、もう頭がいっぱいやわ」

五重塔が二百五十円なら、うちに買うて帰りたいわ」

「どこに置くねん。あんたとこ庭もないのに」

「アハハ、そらそや。土地ごと買わなあかんね」

「五重塔、うちが背負って持ってってあげるわ」

「うちは三重塔でええわ。三十円、いま払おうか」

 仲間たちは、(かしま)しいほどしゃべりまくる。

廃仏(はいぶつ)毀釈(きしゃく)とかなんとか難しいことはわからんけど、小学校の唱歌に、村の鎮守の神さまのォ、という歌があったでしょう」

 そう言ったのは、この日のリーダーであった。

「そうそう、ドンドンヒャララ ドンヒャララという歌でしょう」

「神様は、鎮守の森にいるということやね」

 マーちゃんは、屈託のない話に耳をかたむけながら、唇のなかで『村祭』をうたってみた。すなおな歌詞で心が和む気がしたが、三番をうたってドキリとした。これまでふかく考えたことはなかったが、「治まる御世に神さまの めぐみ仰ぐや村祭り ドンドンヒャララ ドンヒャララ ドンドンヒャララ ドンヒャララ 聞いても心が勇み立つ」という歌詞であった。この歌の神さまは明治天皇のことかもしれないと思った。勇み立つということばにも戦争のにおいを感じた。

「うかない顔をしてるわねえ、疲れちゃったの」

 となりに坐っていた仲間が心配そうに顔をのぞきこんだ。マーちゃんは、「ええ……」とあいまいな返事をした。なに気なくつくったであろう素朴な歌詞が、石仏まで案内してくれた初老の男と重なり、なんども胸のなかを去来した。

 近鉄奈良駅で解散し、仲間たちとわかれて電車に乗った。

――明治といえば、啄木が生きた時代だ

とマーちゃんは思った。

 石川啄木は、「新しき明日の来るを信ずといふ/自分の言葉に/嘘はなけれど」と詠ったけれど、啄木が苦悩した時代といまを比べて、いったいどれほどの違いがあるのだろうか。明治生まれの俳人、中村草田男に降る雪や明治は遠くなりにけり」という句があるけれど、自由民権運動を弾圧し、大日本帝国憲法をつくった明治という時代は、自分を苦しめたいまにつながっている。あの時代の天皇制や廃仏棄釈という宗教破壊がなければ、侵略戦争も太平洋戦争もなかったのではないかとマーちゃんは思う。

この句は、久しぶりに母校をたずねた草田男が、そのときの感慨を詠んだものだというが、明治は遠くなったどころか、いまもなお大手をふって闊歩している。それが証拠に、昭和天皇が死の病にとりつかれ、病名が報じられた昨年の秋、政府は閣議決定を発表して、小中学校の運動会など歌舞音曲をともなうイベントを控えさせた。そして年が明けて一月七日、予定稿どおり死亡が発表されると、市役所など地方公共団体に弔旗をかかげさせ、国民には二日間の服喪をもとめた。

テレビ各局は、歌番組、ドラマ、クイズなどの中止を申し合わせ「天皇陛下におかせられましては、本日午前六時三十三分、吹上御所において崩御(ほうぎょ)あらせられました」などと戦前のことばをつかい、二月二十四日の葬儀は、氷雨降るなかを神道形式ですすめられた。明治の昔とおなじ状況が演出されるなか、アナウンサーは使いなれないことばに緊張し、低い声で口ごもるようにそれを伝えた

だが、少なくない人びとは、葬儀のもようを一日中ながすテレビに飽きあきし、レンタルビデオ店はどこも大繁盛で、ふだんの五、六倍の貸し出しだった。それだけでなく、じっさいに死んだのはクリスマスの日だという噂がながれた。真偽についてはわからないけれど、国家神道の絶対権威者である天皇の死がキリストの誕生日と重なっては困るということで、死亡日を正月の松があける七日にずらしたのだという。

――豊かな自然のなかに神々をみいだすのが神道ではないのか

と、マーちゃんは思う。

――国が宗教に関与するのは、本来の神道を(おとし)める以外のなにものでもない

 怒りに似た感情さえわきあがってくる。

――ほんとうのところ宗教とはなんだろう

考えずにはいられなかった。 






   涙が出た一龍斎貞鏡さんの「独演会」


 3月11日、妻とふたりで行った貞鏡さんの「独演会」で感動の涙をながしました。以下のようなメールをすぐ送りました。

昨日の「独演会」とってもよかったです。思わず涙がでました。講談を聞いて泣くなんて思ってもみませんでした。何の涙かというと・・・。

先ず、二胡の演奏ですが、切なく悲しい音色が草原の風に流れて・・・と思っていた楽器のイメージが、横山祥子先生の演奏で180度変わりました。思わず立ちあがって踊ってみたくなりました。また、横山先生が、秋田県の仁賀保(にかほ)市のご出身だとお聞きし、私もおなじ秋田なので、とても親しみを感じました。仁賀保市は、山形との県境にあり、鳥海山に抱かれたとてもよい町です。

柳家喬之進さんの落語、まさか聞けるとは思ってもいませんでした。楽しませていただきました。

講談ですが、貞鏡さんが、震災にあった東北の学校に行ったり、小学生を対象にした「ファミリー寄席」で伝統芸能のすそ野を広げる努力をされていることに注目していましたが、昨日のピアノ講談は圧巻でした。


5日間の禁酒解禁、さぞかし美味しいお酒だったでしょうね(●^o^●)

講談についてはド素人の私ですが、ひと口に「古典」といっても、残っているものと消えたものがあると思います。師匠の厳しい指導のもとで古典をしっかり身につけながら、現代の若者に受け入れられる新しいことに挑戦する姿を目の当たりにできたことが、私に涙を流させた第一の原因です。二胡との共演をふくめて、講談という「話芸」を楽しむ人を広げるさらなる努力を期待しています。

涙がでたもう一つの理由――新しい試み、貞鏡さんでなければ出来ないと思われるピアノ講談ですが、ちょっと緊張しながら「月光の曲」を弾き終わったところで、盲目の貧しい靴屋の妹の感動が伝わってきました。

ただ、盲目の少女自身の感動を、「まるでお月さまの光が見えるようだわ」という感じでクローズアップし、あと1・2分話をふくらませたら講談らしくひきしまるのではないかなと思いました。終わったあとでそんな事を考えました。ド素人の勝手な感想です。

また、現物を見たことはありませんが、この話は戦争中の国語の教科書に載っていると何かで読んだか聞いたことがあります。私の記憶ちがいかもしれませんが、いやな時代を生きてきた方々がどう思うか・・・表現するうえで注意が必要かもしれません。

貞鏡さんはブログで、私たち若い世代のひとが震災や戦争について語り継がなければいけないと書いていますが、ほんとうにそうですね。平和があってこそ、落語や音楽、講談を楽しむことができるのだと思います。




 昨日から降りはじめた雪、30センチ以上積もる


 シーズンになれば毎年スキーに行くし、生まれは秋田なので雪には慣れているのだが、我が家は道具を準備していないので雪かきもできない。もちろん車は動かせない。脚立で保護したつもりの南天の木は折れ、玄関はご覧のとおり。外にはでられないので、せめて写真を撮り、記録しておこうと思う。









 体調をこわし、3か月ぶりのブログ更新である。


 ボーっとしながら、戦後の労働運動・国民の運動を背景に、日々の暮らしを生きた女性の小説を書こうと思いたち、資料を片っ端から読みあさっている。

 書き出しは次のようなもので、小説の全貌は自分でもまだ見えていない。



マーちゃんはことし八十歳になる。子どものころから石仏をみるのが好きで、母親がとなえる般若心経(はんにゃしんぎょう)おぼえたのは十歳のときである。人づきあいが苦手で口数が少なく、心のなかに雲のようにふくれ上がるものを抱えながら生きてきたが、いまはとても可愛いおばあちゃんである。

 そのマーちゃんからことし、こんな手紙をもらった。

  (中略)

 はがき一枚に、思春期をむかえた少女のような字で、いま伝えたいことを余すところなく書いている。

伝えたいことは誰にでもあるけれど、それだけ書くのは難しいもので、世界でいちばん短い手紙はヴィクトル・ユーゴーと出版社のあいだでかわされた「?」と「!」なのだそうだ。彼女の手紙は、そんなことを想わせるほど要領がよい。

マーちゃんが生まれたのは一九三三年一月一日。何ごともなければ、日本中どこでも、静かに、おだやかに、そしてさまざまな願いをこめて新年を祝う日である。  

だが、時代の風は烈しく渦まき、つつましく生きる人びとにも容赦なく吹きはじめていた。むろんこの風は自然現象ではない。芥川龍之介が「何か僕の将来に対する唯ぼんやりとした不安」という遺書をのこして自殺したのが一九二七年(昭和二年)七月二四日、関東軍が特務機関に命じて満州鉄道を爆破し、中国がやったと発表して侵略の火ぶたを切ったのが一九三一年九月一八日だから、マーちゃんの誕生日は、それからかぞえて一年か月あまり後ということになる。作家の小林多喜二が思想犯としてとらえられ、拷問によってその日のうちに虐殺されたのが二月二十日のことである。

十五年におよぶ侵略戦争の最初の日本人犠牲者は、仙台の歩兵連隊に所属する二二歳の青年で開戦の翌日のことだったが、芥川が死んで二年後の一九二九年十月二四日、ニューヨークの証券取引所で株価が大暴落し、世界はみぞうの大恐慌に突入していく。

ドイツやイタリアなどはファシズムと侵略戦争でこの状態をきりぬけようとし、日本もおなじ道をたどったが、不況が深刻になるとなぜ侵略戦争なのか、理屈はかんたんである。いまもそうだが、資本主義の企業は社会や国民のため製品をつくるわけではなく、売ってもうけるためにつくるのである。

不況になって売れなくなったらどうするか――。政治家と手をむすび、政府に買わせ、一瞬にして消費させる。部族どうしの争いや戦国の世とちがって、現代の戦争は究極の公共事業なのだ。予算をくむ政府は夜逃げしないし、つくれば確実に買ってくれる。企業がつくった軍需物資を政府が消費すると考えればわかりやすい。とうぜんのことながらわいろがつきまとう。いまも昔もおなじである。国民はどうなるかというと、戦争だからしかたがないと思いこまされ、新聞社が募集した「欲しがりません勝つまでは」という標語にのせられて窮乏をたえしのぶことになる。

人間が生きていくための経済活動なら、日々を暮らすため必要なモノをつくり、社会にそれが満ちあふれたら生産ラインをとめてダンスや歌を楽しめばよい。だが、もうけるために生産する資本主義ではそうはいかない。金もうけが目的でモノづくりは手段だから、戦争であろうと何であろうと、つくったモノが消費され、代金を回収できればそれでよいということになる。

それはともあれ、マーちゃんはこういう時代に生をうけた。


 戦後、紡績産業で働いていた女性たちの記録を読むと、派遣労働者として働かされている現代の青年と労働環境がピタリと重なってくることに驚かされる。

 たとえば、「『女工哀史』をぬりかえた織姫たち」(あいち「青春の日々」刊行委員会)に次のような記録がある。「オカッパの少女、坊主頭の男子が就職のため集まってきていました。学校の校庭にトラックが迎えに来ました」。

 集団就職という名で「大量採用」され、数年で使い捨てられた少年少女たちの記録で、「学校の校庭にトラックが迎えに来ました」という部分を、「早朝の駅にバスがきて、待っていた青年たちが次つぎに乗り込んでいきます」と書き変えれば、あとは同じです。

 当時の少年少女たちの「要求」がこの記録に書かれています。

①食事にゴマ塩をつけてくれ。ご飯のおかわりをさせてほしい

②労働時間を8時間に

ボーナスは売れ残りの反物でなく現金でほしい

 などです。

 戦後の亡霊がよみがえり、「大量採用、大量解雇」のブラック企業になったのが現代社会・・・。そう思わざるを得ない現実ですが、こうなったのは小泉内閣の「構造改革」「規制緩和」が原因です。

 安倍内閣はさらに、派遣労働を固定化するため、実は解雇自由の「無期雇用」制度をつくろうとしています。


 そういうことが書かれる小説になるだろうと思っています。



 10月31日、妻と2人で、日暮里のサニーホールコンサートサロンで行われた一龍斎貞鏡さんの初めての「独演会」に行きました。助演は真打の日向ひまわりさん。

 前座さんも頑張っていましたが、お2人の張扇の音が小気味よく、主人公(?)の心が伝わってきました。落ち込んだら講談を聞きに行きましょう。スカッとします。

 こんな感想をツイッターで発信しました。

 

 講談は落語とちがって、文書にすればそのまま小説になるそうで、『立川文庫』は書き講談として人気を得、『講談社』は講談本の出版で成功したのだそうです。
 拙著、「波の伊八」を貞鏡さんが読んで下さいましたが、私がやったら張扇の音も聞こえない・・・などと考えながら昨日は楽しませてもらいました。


 「講談は一人で演じる芝居」(一龍齋貞心師匠)とのことですが、貞鏡さんも話の合間に「毒婦」を演じてみせたり、助演のひまわりさんの紹介をうけて、「20何年、私って出来る女だと思っていたのに、おっちょこちょいだったんだ・・・」と、ふだんの声(?)で会場を笑わせてみたり、声の使い分けはまさに変幻自在。

 私の小説も、人物造形をしっかりしないと単なる状況説明に終わってしまうなと反省(?)しました。


 それはともかく、リストラ、就活、長時間労働、パワハラなど「ブラック企業」で苦しんでいる青年が、小気味のよい講談を聞けば、心がスカッとして元気がでると思います。

 そういう創作講談も聞いてみたい気がします。







  妻とふたりで「風立ちぬ」を観にいきました


 不況、貧困、病気、関東大震災、そして、反共を目的とした「日独伊防共協定」を背景に侵略戦争がすすめられた狂気の時代。真剣に愛し、懸命に生きた主人公・二郎と菜穂子のけな気さは伝わってきました。


 「ゼロ戦」が一機も帰らず、不気味に残骸をさらす描写に、どちらかというと戦闘場面を描いた作品が多い宮崎監督の戦争に対する想いも理解できました。


 公安警察が主人公を調べにくる場面がありました。「治安維持法」による送検75681名、起訴5162名、逮捕は数10万人といわれ、作家の小林多喜二をはじめ拷問・虐待によって多くの死者が出たことを考えると、アニメとはいえあのような描き方でよいのかと思いました。


 むろん、海軍や「ゼロ戦」を描いた作品ではなく、設計主任の役割をクローズアップした作品でもありません。ひたすら愛し、精いっぱい生きることのへの賛美であることは確かでしょう。しかし、なぜいま「ゼロ戦」なのか、「ゼロ戦」でなければ描けなかったのか・・・。その疑問は、映画を観て数日たったいまも消えません。


 私は、終戦(または敗戦=日本帝国主義の敗北)の年に生まれ、中学を卒業して社会に出ました。高度経済成長をささえた低賃金の若年労働者が「金のたまご」といわれた時代です。

 小学校に入るまえ、祖母に連れられて秋田の街に行ったとき、駅の近くに物乞いをする負傷兵がいました。白い布を身にまとい、片腕でハモニカを吹く姿を眼にして「かわいそう」とつぶやくと、祖母が「家だって同じだよ」と言ったこといまでも忘れることができません。


 当時の戦争については知らなくても、不況、貧困、大震災、そして原発の被害を知っている若い人は「風立ちぬ」をどのような想いをもって観るのだろうか。また、子どもたちはどのような感想をもつのだろうか。機会があれば、いまいちどじっくりと観て、よく考えたいと思います。








帰宅してブログを読み返し、放射線量の単位が間違っていることに気がつきました。あらためて当日の日記を・・・。


2001389日(金)

 「家族会」と墓参りのため朝7時出発。福島・宮城・岩手など、地震、津波、原発の事故による被害の様子を見ながら帰郷する計画をたて、51号から利根川をこえて355号を水戸へ。



水戸から6号を走って仙台に向かう。いわき市で昼食をとり、そこから車中で放射線量を測る。車中のため風の向きは判らないが、四街道市より少し高めの0,0150,041 μSv/hくらい。しかし広野町あたりから0,25を超えるようになり、楢葉町ではさらに上がる。



国の基準によれば、年間被ばく量の上限値は1ミリシーベルト。この数値自体があやふやで、これ以下なら安全というわけではないが、1ミリシーベルトを下回るには毎時0,23マイクロシーベルト(1㍃シーベルトは1㍉シーベルトの千分の1)以下でなければいけない。国の基準でさえ、広野町や楢葉町は人が住めない数値だということである。これで「再稼働」をいう自民党とそれに追随する輩は、人間としてまともな感覚をもっていないと言わざるを得ない。

楢葉町までゆっくり走る途中、「仙台方面は49号へ」の看板が一つだけ目に入り、どこで通行禁止になるか気になっていたが、蛍光色のヤッケを着て「第二原発」の標識がある交差点に立っていた人は何も言わず、それらしい合図もなし。行けるところまで行こうと思ってさらに進む。

 6号線は、車は通っているがほとんどひと影がなく、地震で壊れた建物が痛ましい姿をさらしている。線量はどんどん上がり、富岡町に入ると0,470μSv/hを超える。私たちは歳をとっているから線量を測る気になったが、もし子どもが乗っていたらこの道は来なかったにちがいない。



双葉町まで10数キロのところで通行規制をしていて、身分証と通行許可証を求められる。この地域の住人ではないので持っているはずもなく、仙台に行くことを告げると「いわきまで戻らないといけない。抜け道はない」とのこと。警察の車両があり、制服姿の警官が数人いたので、旗をもって制止したひとは東電関係の臨時職員であろうか。32度を超える暑さのなか、太陽に光る白いマスクがいやに生々しく、異様な色に見えた。



 Uターンすると間もまく、錆びた歩道橋に「まけないぞ」と手書きの文字による横断幕があり、うす黒く変色しているのを見て涙が出る。

 福島市内に向かう高速道路から見える緑はきれいだったが、妻が「放射能が黒く見えたら、この景色はどのように見えるんだろうね」という。歩道橋でみた横断膜の黒さを思い出し、あれが放射能の色なんだと思う。

福島駅前のビジネスホテルに泊まり、ツイッターを発信。ブログを更新してからこれを書く。

明日は、石巻に向かう。