UCLAから国際ジャーナリスト賞を受賞するなど、歴史や時代と向き合きあった真摯な報道姿勢を生涯貫いたジャーナリスト大森実さんには多くの著者がある。10巻からなる「アメリカの勝者の歴史」シリーズもその一つで、フォード・モーターの創設者ヘンリー・フォードの功績と生涯を、八巻目の「デトロイト モンスター」で取り上げている。

フォードは彼の提唱する社会経済哲学や、「平和主義者」という評価がある一方、「反ユダヤ主義者」であるという両極の批判のなかで数奇な生涯を終えることになった人。「ユダヤ社会との対立」で彼が世論を覆すことができなかったことの一因に、ヒットラーとの関係があったことをこの本は示唆している。 

「国際社会の宿題」であるユダヤ民族の直面した「ホロコースト」、この惨事は、通説のようにヒットラーの個人的感情からなるユダヤ嫌いから発しているのだとしたら、これほどの悲劇はない。

今、パレスチナ問題の展開のありようをめぐり、世界規模で再びユダヤ論争が沸き上がっている。世界的な反ユダヤ感情に繰り返し直面してしまうユダヤ社会、不本意極まりないことだろう。いま世界が注視している中で激化してゆくイスラエル・パレスチナ紛争は、私たちに一体何を学べと言っているのだろうかと改めて思わずにはいられない。

第一次世界大戦後の多額の賠償金にあえいでいたドイツにあって、ヒットラーが頭角を現し指導者の立場を確固たるものにできたのは、当時の新テクノであった自動車産業を発展させることに力を注ぎ、大量生産により失業問題を解消し、ドイツ国民の福利厚生も改善し、国力の回復を短期間で成功したからだといわれている。当時、世界が目を見張ったこの快挙は、自動車王「フォードの提唱した経営理念を踏襲」したことにより可能になっていた事は興味深い。

アメリカ国内においては、このフォードの画期的な経営理念は、ユダヤ社会総力をあげての攻撃にさらされフォードの完敗に終わった。だが皮肉なことに、件のフォードの理念を実践し、社会革命に成功したのがドイツであり、ヒットラーであったとはいえないか。

この本を読んで以来、気になっているのは、このヒットラーの果敢な挑戦を、ドイツ在住のユダヤ人社会はどのような目で眺めていたのだろうかということ。フォードの例を参考にすると、両者の間に何らかの緊張感が存在しなかったとは考えにくいからだ。  

ユダヤ民族の直面した被害の大きさを思い、ヒットラーの行動を肯定するものではないが、

ホロコーストに至るには何かしらもっと深刻な背景が隠れていたように思う。ホロコーストやユダヤ迫害の背景に潜んでいるであろうことをクリアーできなければ、世界史と率直に向き合うことは難しい。激化するパレスチナ問題、解決のネックの一因になっているのは、ユダヤ社会が抱え込んでいる「ホロコースト」にあり、それを暗黙の旗印にパレスチナ攻撃を正当化しようともくろんではいないだろうとは思うが、世界の中でユダヤ民族は一体どこへ向かおうとしているのか気にかかって仕方がないが。